メッセージ - 主が露わにする時は必ず来る(創世記41:1-16)
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『朝になって、パロは心が騒ぎ、人をつかわして、エジプトのすべての魔術師とすべての知者とを呼び寄せ、彼らに夢を告げたが、これをパロに解き明かしうる者がなかった。』(創世記41:8)
神の御心は、人の知恵で計り知る事はできず、世のどんな知者もそこに到達する事はできない。
神が見させた夢を解釈できたのは、神の霊が宿る人・ヨセフのみであったように、御霊によって新しく生まれた人のみが、御心を悟る事が出来るのである。(ヨハネ3:8)
パロの献酌官長はこの時、二年越しにしてようやく、自分の夢を解き明かしてくれたヨセフの事を思い出した。
ヨセフはあの時、神の知恵を語ったのに忘れ去られ報われなかった。
同じように私達も、神の国のことばを伝えた時、相手は表層的な事しか覚えてくれていなかったり、忘れ去ってしまったりして、落胆したり、その時は日の目を見なかったりする事がある。
しかし、神の言葉は決して地に落ちたままでいる事は無い。
神の言葉を伝えられた人が、たといそれを忘れたとしても、この献酌官長のように、否が応でも思い出させられ、王の御前で申し開きしなくてはならない時が、必ず来るのである。
ヨセフが献酌官長に伝えた言葉は、その時は実らなかったが、ずっと後に実ったように、私達が語った御言葉も、決して地に落ちたままでいる事なく、必ず後には実るのである。
『天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。』(イザヤ55:10)
ヨセフは今まで、良い事をしてもそれが悪い方向へ、悪い状態へと引きずられて行ってしまったが、今度は一転して、今まで受けてきた良くない事を全て償って余りある方向へと導かれる。
『そこでパロは人をつかわしてヨセフを呼んだ。人々は急いで彼を地下の獄屋から出した。ヨセフは、ひげをそり、着物を着替えてパロのもとに行った。』(創世記41:14)
御言葉のともしびは、人間がいかに器に隠そうとしても隠しおおせず、必ず主が燭台の上に置かれる。
ヨセフが牢屋という密かな狭い所で語った御言葉は、今度は公で広い所で語る事となり、彼が密かな狭い牢屋で行った忠実なわざも、今度は大きなステージで、公に為す事となる。
『あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。
隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。』(ルカ8:16-18)
良い事であれ、悪い事であれ、密かな所で言った事や行った事は、主が露わにするべき時には、必ず露わにされるのである。
『ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。』(創世記41:16)
ヨセフは、夢を解き明かすこの特殊な能力の出処は、自分ではなく、神である事を公にした。
使徒パウロも同じように、牢獄から王の前に引き出されて行った時、そこで語った言葉は、自分に関する釈明ではなく、十字架につけられたキリストすなわち救い主についてであった。(使徒25章)
王や権力者の前に引き出されて行った時、何を語ろうかと、心配するには及ばない。
御霊に導かれているなら、語るべき言葉は与えられるからだ。(マタイ10:19-20)
『キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。』(ピリピ2:6-11)
ヨセフは一時期低く、卑しくされたが、後には、彼を低く卑しくした全ての膝は、ヨセフの前にかがめられるようになる。
キリストも一時は低くなられたが、後には、全ての膝は彼の前にかがめるのである。
そして御言葉は、たとい一時期人から忘れされても、後にはその御言葉は、誰の目にも明らかな形で実を結び、神の御業は必ず成就するのだと、人々は知るようになるのである。