メッセージ - はじめの七十人(創世記46:1-27)
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イスラエルの子孫が住むべき地はカナンだと神は指定されていたが、ヨセフが言うには、あと5年はききんが続く為、家族も家財道具も全てエジプトに移って住むように、という事だった。
果たして神が約束された土地を、ききんだからと言って離れて良いのだろうか、という迷いが、イスラエルにあったのかもしれない。
しかし神は現れ、その心配を払拭してくれた。
『この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。』(創世記46:2-3)
神は、ヤコブ一家がエジプトにくだるのは御心だと、はっきりと教えてくれた。
「わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。(4節)
このことは、ヤコブはエジプトでヨセフの手の中で死に、死んだ後、約束の地へと戻る事を意味する。
神は、死んだ者の神ではなく、生きた者の神である。
アブラハムもイサクもヤコブも、今は肉体のいのちは死んでいるが、やがて私達信仰者は彼らと共によみがえらされ、共に天の食卓に与かるのだ。
今日の箇所を見ると、イスラエルの70人の子達全ての名前が登場するが、実に色々な場所で、色々な母親から生まれているのがわかる。
しかし、人が誰から、どの場所で生まれて、どの場所で死ぬのか、というのは、永遠の観点から見れば何も重要ではない。
むしろ、どなたにあって生き、どなたにあって死ぬのかが重要である。
アブラハムもイスラエルの12人の子達もメソポタミアで生まれたし、出エジプトの民60万人はエジプトで生まれたし、カナンを征服した世代は、荒野で生まれた。
むしろ、士師記の時代にカナンで生まれた世代が、神に不従順であった。
重要なのは、どなたにあって生き、どなたにあって死ぬのか、である。
『ヤコブと共にエジプトへ行ったすべての者、すなわち彼の身から出た者はヤコブの子らの妻をのぞいて、合わせて六十六人であった。エジプトでヨセフに生れた子がふたりあった。エジプトへ行ったヤコブの家の者は合わせて七十人であった。』(創世記46:26)
この時代、エジプトに入ったイスラエルの子孫達は、わずか70人だったが、430年後にエジプトから出る時は、成人男子だけでも60万にまで増えていた。
『ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。』(ヘブル11:12)
そのように、イスラエル民族が異国エジプトの地へ移されて増え広がる事は、アブラハムの代から、そのように定められていたのだ。(創世記15:13-15)
主は確かに、死んだも同然の者を生かし、わずかだった者を増え広がらせ、貧しい者を富む者とし、呪いの子を祝福の子へと造り替えて下さる。
しかし、神の目が注がれた民にとって、祝福とのろいは表裏一体であり、どちらに傾くかは、主の御声に聞き従うかどうかにかかっている。
イスラエルは確かに大勝利し、多くの土地を勝ち取ったが、しかし、後の時代の不従順によって、滅亡の危機も幾度も訪れた。
『あなたがたは天の星のように多かったが、あなたの神、主の声に聞き従わなかったから、残る者が少なくなるであろう。』(申命記28:62)
この言葉は、バビロン捕囚の時や、AD73年のユダヤ戦争において、また、近年では第二次世界大戦のホロコーストにおいて、成就した。
主の御声に聞き従う事こそ、祝福の前提条件であり、聞き従わない事は、呪いの前提条件となる。
御言葉にしっかりと服従し、大いに増え広がり、富む者となり、祝福された者となる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!