メッセージ - つながれていない神のことば(使徒16:16-34)
つながれていない神のことば(使徒16:16-34)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
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週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
パウロ達は、遠い道のりをさ迷った挙句、やっとピリピへと導かれ、そこでささやかな人数のいのちの刈り取りがあって、ほっとしたのも束の間、現地の人達に訴えられ、鞭打たれ、牢屋に入れられてしまった。
なぜ告訴人達は、パウロ達を訴えたのか。それは、もうける望みが無くなったから(19節)、すなわち、彼らの奴隷である占い女から、占いの霊を追い出したためである。
女は占いの霊に縛られ、占いで得たお金は、霊障のリスクを負わない主人たちに搾取される状態だった。
パウロの取った行動は彼女にとっては救いだったが、彼女の上司達のビジネスには損失であった。
今の時代でも、多くの日本人達が、時代の霊に引きずり回され、働いても働いても主人たちに中間マージンを搾取され、子育てやマイホーム資金もままならない人達が多いが、もし彼らが、主人たちが強いる労働を止め、彼ららしい生き方をするようになりだすとしたら、その主人たちには当然、望ましくない事である。
福音が伝わる所には自由があり、奴隷開放があるが、それが気に食わないという人達もおり、彼らが宣教者たちを迫害したり殺したり、奴隷にまつわり戦争を起こしたりするのは、歴史で見てきた通りである。
「それで二人に何度もむちを加えさせた後、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。」(23節)
もし私達も、もし、いのちのために起こした行動が災いで返って来てしまったら、何を思うだろう。
パウロは幾度も鞭打ちや牢獄、迫害に遭ったのに、それでもなぜ福音を伝えるのを止めなかったのか?
それは、無理してヤル気を喚起したからではなく、福音そのものには圧倒的ないのちの力があり、死はいのちに、病は健やかに、貧しさは豊かさに、取って替えられるからである。
福音ほど「おトク」な話は世のどこにも無く、伝えなければ災いだとさえ思える程、良き知らせだからである。
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。」(25節) この25節以降、なぜそうなるのか?と問いたくなるような事ばかりが続く。
なぜ打ち傷だらけで鎖に繋がれているのに、賛美を歌えるのか。なぜ悪人達が閉じ込められている獄舎で夜中に賛美しても、誰も文句も言わず聞き入るのか。なぜ賛美すると地震が起き、皆の鎖が解けるのか。
そして、鎖が解けて扉が開いたのに、なぜ逃げる人が一人もいなかったのか。また、なぜ看守は自殺しようとし、看守はなぜ、つい先まで自分が見張っていた囚人パウロにひれ伏し「先生がた・・・」と言うのだろう。
恐らくパウロ達は地震までに、囚人たちが一晩で変化するような行動を、起こしていたのではなかろうか。
すなわちパウロ達は、ぶち込まれた牢屋で、看守長にも聞こえるように福音を伝えていたのではなかろうか。
イエス様はどんなお方で、信じた者がこんなに救われ、自分達もイエス様にどんなに守られて来たのかを。
賛美は邪悪な者にはノイズだが、救われた者には、どんなノイズのような賛美でも、心揺さぶられる。
賛美の内に地震が起こり、鎖も解けてしまった。普通の悪人なら、ここぞとばかりに逃げるはずなのに、一人も逃げなかった、という事は、既に牢屋の皆は、圧倒的な主の力と愛に打たれていたのではなかろうか。
「パウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。」(28節)
当時のローマの法律では、囚人が逃げてしまった場合、看守はその囚人の罰を受けなくてはならない、という決まりがあった。だから、囚人が全て逃げてしまったと思った時、絶望して自殺しようとしたのだ。
彼は牢獄を見張っていたようで、実は、ローマの制度という牢獄に縛られていたのだ。
現代も当時と変わる事なく、空中の権威を持つ支配者達によって学校や会社、家庭も搾取され、縛られ、どうあがいても幸せになれない「見えない牢獄」にあえいで、自殺しようとしている人も、沢山いる。
福音は、有形無形の監獄にいる人を全て、救いへと導く。
パウロが獄中に居ながらにして、獄の中をいのちに満たしたように、私達も、救いの御言葉を伝える事によって、有形無形の牢獄に居ながらにして、そこをいのちで満たす働きが出来るのだ。
それは永遠の栄誉をもたらす、いのちの務めであり、それだからパウロは、福音伝道が止められないのだ。
獄から出るのが救いではない。イエス様こそ、獄や鞭、死さえも、決して無効には出来ない救いである。
イエス様を知れば知る程、伝えたくて仕方なり、たとい伝えなくても、普段の趣が、イエス様を証してしまう。
現代日本の全て監獄に囚われている人達を、一人でも多くイエスへと救い出す皆さんでありますように!