メッセージ - エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7)
エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 創世記
- 執筆 :
- pastor 2012-10-11 22:58
礼拝説教メッセージ音声:エジプトではなくカナン、世ではなく天(創世記47:27-48:7):右クリックで保存
『さてイスラエルはエジプトの国でゴセンの地に住み、そこで財産を得、子を生み、大いにふえた。』(創世記47:27)
イスラエル全家は、ゴシェンの地にてヨセフに養われ、この一族はそこで大いに栄え、増えて行った。
イスラエルの息子・娘達が生んだ孫やひ孫も数を増していき、愛する息子ヨセフもここエジプトで盤石の地位にいる。
もはや十分に生き、この世界で思い残す事は無い、とも思えるようなイスラエルであるが、彼の心には焦燥させられるものがあり、ヨセフを呼び寄せて、ある事を誓わせた。
『もしわたしがあなたの前に恵みを得るなら、どうか手をわたしのももの下に入れて誓い、親切と誠実とをもってわたしを取り扱ってください。どうかわたしをエジプトには葬らないでください。』(創世記47:29)
手を腿の間に入れての誓いは、最も厳粛な誓いで、かつてアブラハムも、イサクの嫁探しの時、しもべに誓わせた。(創世記24:2)
この厳粛な誓いをさせた、イスラエルにとっての最重要事項とは、彼をエジプトには葬らせない事。
彼が眠りについたなら、先祖達の墓に葬ってもうらう事である。
イスラエルはエジプトで増え、ヨセフもエジプトで地位を得たのに、彼らの思いは、富と権力の頂点を取ったエジプトには、無かった。
彼らにはエジプトの栄華は一切眼中に無く、思いはいつも神に向けられ、心の置所はいつも、神が示された地・カナンにあった。
イスラエルは死期が近いと悟った時、彼の信仰の原点であり、神が初めて彼と出会ったルズ(ベテル)で語られた事を、ヨセフに話した。
『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる。』(創世記48:4)
あの時神が言われた通り、今やイスラエルはまさにここエジプトで、数多く増えようとしている。
しかし、神があの時言われた「この地」とはエジプトではない。カナンである。
『エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。』(5節)
エフライムとマナセをイスラエルの直接の子とするという事は、彼らを「イスラエル12部族」として、カナンに相続地を得る権利を与える事を意味する。
イスラエルは、エジプトで満ち足りて大往生しようとしているのに、ヨセフとの会話では、エジプトの栄光は全くもって話題になっておらず、あたかも、これからカナンで歴史の続きが始まるような話しぶりである。
彼の思いはエジプトには一切無く、地上の富や栄光にも無く、ただカナンに、神が示された約束の地にあった。
私達も、思いは地上に向けるのではなく、天に向けるべきである。
『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』(マタイ6:19)
『こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。』(コロサイ3:1-3)