メッセージ - 実際に祝福される者とは(創世記48:8-22)
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『ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。』(創世記48:8)
ヨセフとしては、長男マナセに、より大きな祝福を与えたいがため、マナセを父の右手側に連れて来たのだが、父は意外な行動を取った。
『すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。』(創世記48:14)
なんと父は、わざわざ手を交差させて、長男マナセを左手で祝福し、次男エフライムを右手で祝福した。
右手は力や権力をあらわすため、普通なら長男を右手で祝福するものだが、イスラエルは意図的にそのようにしたのだ。
『そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。』(創世記48:18)
イスラエルの父・イサクも、老齢で目がかすんだ時、彼が愛した子エサウを祝福しようとしたが、彼が祝福を受けて欲しいと願った子の祝福は、弟ヤコブによって奪われてしまった。
ヤコブもまた老齢となり、目がかすみ、死を前にして子を祝福したが、彼が望んだ通りに、エフライムがその後祝福されていったかというと、そうでもなかった。
民数記には、1章と26章にて2回の人口調査が行われたことが記されているが、第一回目の人口調査では、マナセ部族は32200人、エフライム部族は40500人で、ヤコブの祝福どおり、エフライムのほうが多かった。
しかし、2回目の人口調査(26章)では逆転し、マナセ部族は52700人、エフライム部族は32500人。
エフライム部族の数は、12部族中、ワースト2位になってしまう程、荒野で減ってしまった。
エレミヤ書を見ると、エフライムは早い時代に主に背き、懲らしめを受け、恥じて後悔い改め、その後、主の憐れみを受けたようだ。
『わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです。』と。
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。――主の御告げ。――』(エレミヤ31:18)
必ずしも、父が願った人が、祝福されるとは限らない。
また、聖書では、長男が衰え、末っ子が栄える、というパターンが多いが、だからといって、長男は宿命的に祝福を受けられない、とは限らないし、末っ子なら自動的に祝福されるわけでもない。
元々、イスラエルの長男はルベンだが、彼は奔放過ぎた行動の故にその権は剥奪され、父はヨセフに長子の権を与えたが、実際は、兄弟達の長となり王達が生まれたのは、ユダ族だった。
『イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。またユダは兄弟たちにまさる者となり、その中から君たる者がでたが長子の権はヨセフのものとなったのである。――』(1歴代5:1-2)
結局のところ、その人が実際に祝福されるかどうかは、祝福を受けた後、どのような信仰で歩み、どのような行いを積み重ねて行くかにかかっているのだ。