メッセージ - 終わりの時代に勝ち取る栄光(ルカ21:7-19)礼拝メッセージ音声
礼拝音声:終わりの時代に勝ち取る栄光(ルカ21:7-19)
週報/メッセージ(説教)概要
終末の時代の徴(ルカ21:7-19)
終わりの時代には、戦争や暴動、地震、疫病などの災いが起こる事が、主から予告されている。
そのような苦難の予告は、主はシナリオライターのように思いつきや気まぐれで組み立てているのではない。
人間が誤った選択をし続けた結果、そのような苦しみのシナリオが起こる事は確定しており、人間が日夜自分中心の罪深い選択を積み重ねる事によって、主も悲しまれ呻かれつつ、その予告をされたのである。
しかし主は世の終わりまでいつも共にいまして、そのような時でも助けて下さるべく、予め教えられたのだ。
この時代に気をつけるべき事
主が真っ先に警告されたのは「惑わされないように気をつけなさい」であり、終わりの時代にメシヤを語る者や、「時が近づいた」と言って人を囲い込むような者にはついて行かないよう予め警告されている。
また、おびえてはならないとも言われており、イエスの名の故に王や総督の前に引っ立てられて行っても、どんな反対者にも対抗も反論もできないような言葉と知恵が与えられ、主を証する機会として用いられる。
また、主の名の故に全ての人に憎まれるが、髪の毛の一本も失われる事がないという約束に堅く立ち、忍耐によって命を勝ち取る事ができる。(ルカ21:17-19)
終わりの時代に守られる者とは(黙示録3:7-13)
終末のクリスチャンは苦難ばかりのように見える、クリスチャンにならなければ良かったと思うだろうか。
しかし主の魅力を味わってしまった者達は、イエス様から離れたいと思っても、離れていると心配でたまらなくなり引き摺り戻されてしまうのではないだろうか。
むしろ、今の時代に生かされたのは、大いなる栄冠を勝ち取ることの出来るチャンスでもある。
地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に守られる者とは、イエスが忍耐されたように忍耐し、イエスの名を否まず、あかしのことばを守る者で、力のある無しは関係ない。(黙示録3:8-10)
艱難の時代に守られるシンプルなコツとは、イエスのことばを守り、イエスの名を知らないと言わない事。
そのような者には栄光の冠が待っている。(12節)
神は真実な方だから私達に耐えることの出来ない試練に合わせられないばかりか、脱出の道も備えてくださる。(1コリント10:13)
主に仕える私達はどれほど栄光に富んでおり、まさにその瞬間、主がどれほどの守りを与えて下さるか
天と地において一切の権威が与えられている主に仕える私達は、どれほど栄光に富んだ者であろうか。
ステパノは殉教する直前、主の栄光を見た。(使徒7章)
怒り、殺意、叫びに満ちた群集が押し寄せても全く動じる事無く、御使いのように輝いた表情となり、平安の内に満たされ、彼を殺そうとする者達のため取り成しさえしたのは、まさに主の栄光を見たからである。
主の栄光を見た者は、いかなる罵詈雑言、群集の憎悪、生死にかかわる危機、殺気立って殺到する群集さえも、その平安を邪魔する事はできないのだ。
たとえ殉教するその時でさえも守られるのは、この何物も奪うことのできない平安によってであり、しかも燦然と輝く栄光の主から冠をいただけるのである。
その栄光を知るための祈り(エペソ1:17-23)
キリストは全ての支配、権威、勢力、主権の上に置かれ、今の世ばかりでなく、来る世においても唱えられるあらゆる名の上に置かれた。(21節)
教会はそのキリストの体であり、そのお方の満ちておられる場である。(22,23節)
聖徒達の受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、私達の内で働きをなさる神の力がどれほど絶大かを知ることができる皆さんでありますように。
イエスの御名によって祝福します!