メッセージ - 子を去らせよ、さもなくば・・・。(出エジプト記4:18-23)
子を去らせよ、さもなくば・・・。(出エジプト記4:18-23)
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
- 執筆 :
- pastor 2012-11-9 20:26
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主は確かにモーセを怒られた。しかし主は兄アロンという助け人を備え、モーセが弱さを覚えている所、口下手な所を、カバーして下さった。
それでモーセは、しゅうとのイテロの所を出てエジプトへ向かう気になったのである。
主は私達の過去の傷と弱さを知り、憐れみ、無理なくそこを乗り越えさせて下さる。
そして主は、かつてエジプトで命を狙われていた事に対する恐怖するモーセに、もう安全だと宣言された。
『主はミデヤンでモーセに言われた、「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」。』(出エジプト記4:19)
主は、私達の過去の傷や、その時以来染み付いてしまった恐怖から解き放たせて下さる段にあたり、いきなり私達の許容範囲の事は要求されないし、私達が恐れて尻込みしてしまっても「なんて信仰の無い」と怒ったままではなく、別の助けの道も備えて下さる。
『主はモーセに言われた、「あなたがエジプトに帰ったとき、わたしがあなたの手に授けた不思議を、みなパロの前で行いなさい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、彼は民を去らせないであろう。』(出エジプト記4:21)
パロは最初の接触では、イスラエルの民を去らせない事も再度言われた。それを知りつつも、実際にそれが起きた時の彼らの落胆は、非常に大きなものだった。
しかし主は、さらに大きな御業を用意しておられ、カバーして下さるのである。
モーセにとってパロは大きな恐怖の存在だったかもしれないが、主は、恐怖の対象を見つめるのではなく、主がなさる大きな御業に目を留めるように言われた。
私達も、目の前の恐怖の対象を見つめ続けるなら、ただ尻込みして動けないだけだが、主が為して下さった恵みの数々に、主が成して下さる大きな御業に目を留めるなら、私達も進むことが出来るのだ。
『あなたはパロに言いなさい、『主はこう仰せられる。イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。』(出エジプト記4:22)
イスラエルの民は、全人類に対して長子である。なぜなら、全人類はアブラハムの子孫を通して祝福され、救いへと入るからだ。
そして私達・イエスキリストを信じる聖徒達も、真にアブラハムの子孫であり(ガラテヤ3:7)、神の子とされたのである。
『あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。』(ローマ8:15−17)
御霊に導かれるなら、私達も神の子であり、それはエジプトが強いたような奴隷にする霊ではない。父なる神様を親しく「アバ」と呼ばさせて下さる霊である。
そして、子であるからには相続人であり、相続人であるからには、その大いなる神の子としての権利を活用すべきだ。
『わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、わたしに仕えさせなさい。もし彼を去らせるのを拒むならば、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺すであろう』と」。』(出エジプト記4:23)
なんとも強気な言葉である。
社会的に見れば、モーセは一介の羊飼いの老人、パロは大国の王であり、かなうはずも無いのに、神がそう宣言せよと言うからには、私達も強気に御言葉を宣言しなくてはならない。
たとい自分がいかに社会的地位がなくとも、相手がいかに大国の王であろうとも。
皆さんは、世を支配する王に、奴隷とされて来ただろうか。縛られてきただろうか。搾取されて来ただろうか。
あるいは、皆さんの愛する家族や兄弟姉妹たちが、今、サタンに縛られたり、病や貧困、罪などの奴隷とされたり、いらぬ搾取をされたりしていないだろうか。
その時は、主イエスの名によって、世を支配する悪しき王達に、すなわちサタンに、宣言するべきである。
神の子達を、そこから去らせよ、と。束縛から解いて、神を礼拝させよ、と。
もし去らせるのを拒むなら、エジプトの子らを殺した主が、おまえの子たちを殺す、と。
『あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。』(1コリント6:2-3)
『最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。』(エペソ6:10)
霊的武具をしっかり身につけ、聖徒達を束縛しているパロの霊に主イエスの名によって「聖徒達を解き放て」と命じ、罪の束縛にあえいでいる聖徒の鎖を主イエスの名によって打ち砕き、ハデスの門さえ恐れず、暗闇の世界から大胆に分捕り、多くのたましいを主イエスのもとへと引き連れて行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!