メッセージ - どちらがなまけ者か(出エジプト記5:15-6:1)

どちらがなまけ者か(出エジプト記5:15-6:1)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
執筆 : 
pastor 2012-11-14 22:55

礼拝説教メッセージ音声:どちらがなまけ者か(出エジプト記5:15-6:1):右クリックで保存

『パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがを納めなければならない」。』(出エジプト記5:17-18)
パロはイスラエル民族を、繰り返し「なまけ者」と呼んだ。
日本の社会人は特にこうした言葉に弱く、会社から「なまけ者」呼ばわりされる事を恐れ、家庭や礼拝を犠牲にし、パロのれんがをせっせと作る人は多い。

しかし、考えてもみて欲しい。
パロが命じるれんが作りをせずに主に犠牲をささげに行く事と、パロのれんが作りに没頭して主へ犠牲をささげない事。一体どちらが、永遠の視点から見れば「なまけ者」になるだろうか?

私達は確かに社会的責任を果たすべきである。
しかし、主に贖われた私達の人生の中心は、主を礼拝する事のはずだ。
礼拝に行かせてくれずに、労働を強いるような主人の所には、長く留まるべきでないし、もし留まらざるを得ない事情が今あるなら、それを主に祈り、導きを求めるべきである。

イエス様がベタニヤのマルタの家で御言葉を語られていた時、マリヤという妹が、主の足もとに座って御言に聞き入っていた。
しかしマルタは、給仕を忙がしくして心を乱し、イエス様のところに来て「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください。」と言った。(ルカ10:38-42)
マルタの目から見れば、マリヤのほうがなまけ者、自分は正しい働き者。だからイエス様に、マリヤも座って聞いていないで立って働くようにと、説得させようとしたのだ。
しかし主は答えて言われた。
「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(同41-42節)
イエス様の目から見れば、主が御言葉を語られている時に、忙しくしているマルタのほうが霊的になまけ者で、その仕事がいかに客人を相手する給仕の仕事であっても、主が語られる時は手を休め、御言葉を聞くことを優先しなくてはならない。
優先すべきは礼拝であり、主の足元に座って御言葉を聞く事なのだ。

パロのやり方は、サタンのやり方を如実に表している。
世は、サタンは、あたかも礼拝を捧げる事のほうが非常識でなまけ者、と思わせ、パロのれんが作り、すなわち労働は何より優先させて従事する方が正しい、社会的にしっかりしている、と思わせ、そうして人々から搾取し、疲れさせ、思考停止させる。

サタンは訴える。
奴隷にもどれ、と。
サタンは、あなたが奴隷である事の方が勤勉で徳であるかのように、社会人としてしっかりしているかのように見せるが、では、忠実に奴隷生活を忠実に続ければ、いつか労働のきつさが緩和されると思ったら大間違いで、相手はもっと図に乗り、こき使う度合いをさらに水増し要求して来る。

イスラエルの民は、その罠に落ちてしまった。
モーセが神に礼拝を捧げさせよなんて言ったからパロに嫌われてしまった、モーセは言わなければ良かったのに、私達はあのまま、おとなしく命じられた通りれんが作りだけをしていたら平和だったのに、と。
モーセもまた苦しんで、主の元に訴えて言った。
「わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません。」

主が命じられる事は、時として、人の目から見れば、明らかに効果が無い、逆に相手を怒らせてしまう、と思える時があり、そして実際にあらかじめ想像した通りの災いが自分の身に降り掛かってしまう、という事は、確かにある。
しかし、主が命じられるからには、そこで終わりでは決して無く、その向こう側に大逆転があるのだ。
ここに、信仰と忍耐を働かせる必要がある。
主に命じられた事を人が従順して行う時こそ、神の支配が私達の内に働く時であり、主の御業が成される手はずが整った事になるのである。

礼拝をおろそかにしたまま、世の働きに奔走し、神殿が廃墟のまま自分だけ板張りの家に住もうとするのは、穴の開いた袋にせっせとかき集めるようなものだ。
『あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。
あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。』(ハガイ1:6-11)

人生で最も大切にすべきは、主を礼拝すること。主の住まわれる宮である、この体という「神殿」を、主のためにきよめ、用いる事である。
そうするなら、主はあらゆる災いを叱りつけ、予期せぬわざわいによる要らぬ出費が無くなり、生活にゆとりが出来、ますます主の祝福の内を歩むようになるのである。

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