メッセージ - 異国の祭司も主をほめたたえる(出エジプト記18:1-12)
礼拝説教メッセージ音声:異国の祭司も主をほめたたえる(出エジプト記18:1-12):右クリックで保存
イスラエルがアマレクとの戦いで勝利した後、モーセのしゅうとでありミデヤンの祭司であるイテロが、モーセの妻・チッポラと二人の息子とを連れて、モーセを訪ねて来た。
このレフィディムの地は、イテロの住んでいる所から近く、つまり、神が当初モーセに現れ礼拝場所として定めておられた神の山から近い所にイスラエルの民は来ているのである。
イテロは、イスラエルの神とその民のうわさを聞いていた。
すなわち、神である主がイスラエルの民になされた素晴らしい御業と御救い、そしてエジプトになされた災いを、また、神が荒野でイスラエルを養っておられる様を。
そして彼がイスラエルの陣営に入り、砂漠の中なのに神に養われている様を実際に見、そして、今や200万ほどの民を率いるまでになったモーセと再会して、驚きの連続だったに違いない。
モーセは今や200万ほどを率いる指導者であるが、彼がかつて40年仕えたしゅうと・イテロに会った時、まだ神に召されていなかった昔を思い出して、なつかしかったのであろう。彼はイテロに身をかがめ、口づけし、天幕に入って、お互い安否を尋ねあった。
『そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、イテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。』(出エジプト記18:8-9)
イテロは、全能なる神の御業をモーセの口からさらに詳しく聞いて、喜び、主をほめたたえた。
「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。
そしてモーセのしゅうとイテロは燔祭と犠牲を神に供え、アロンとイスラエルの長老たちもみなきて、モーセのしゅうとと共に神の前で食事をした。(出エジプト記18:11-13)
イテロはミデヤンの祭司であったが、パロとは違って、全能の神である主のみわざを見聞きし、実際に主がイスラエルを養っておられる様を見て、主を褒め称えずにはおれなくなり、主に捧げ物をした。
主の御業を見る時、素直な感性を持った人なら、感動せざるを得ない。
しかしパロのような頑なな心の持ち主は、いくら主の御業を見ても、いくら主の災いが自分の身にふりかかっても、主に立ち返る余地がいのだ。
頑なな心、それが救われる事の無い一番の原因である。
主に望みを置く人達には主の栄光があらわれ、主の栄光によって包まれ、主から来る助けによって満たされる。
そして彼らが栄えるのを見る異邦の人々は、主を褒め称えるのである。
『起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。あなたの目をあげて見まわせ、彼らはみな集まってあなたに来る。あなたの子らは遠くから来、あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。』(イザヤ60:1-4)