メッセージ - 十戒 第五戒〜第七戒(出エジプト記20:12-14)
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十戒の第四戒までは神との関わりについての戒めだったが、五戒からは、人との関わりについての戒めとなる。
その、人との関係において最も先に来る戒めが『あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。』(出エジプト記20:12)である。
父と母を敬う事。それは、最も根本的で最小単位における「権威」を敬う事である。
この世のあらゆる事は、権威構造によって成り立っているが、立てられている権威に正しく服する事をおろそかにしてしまうと、その人は、人間社会においても、自然界においても、あらゆる場面で苦労する事となり、権威に服する事が出来ない人は、あらゆるものと敵対して生きなくてはならない苦しみを負っている。
権威には順序がある。
『子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。』(エペソ6:1-3)
親子関係においても忘れてはならない事は、「主にあって」両親に従う事である。
権威の第一は主である。両親が主に反する事や御言葉に反する事を命じて来るなら、それには服従すべきでない。
「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイ10:37)
そうした事以外なら、両親は敬い、服従すべきである。
なぜなら御言葉でも約束している通り、それによって幸福になり、地上で長く生きる事ができるからだ。
目に見える権威に、それも、最も身近な権威である親にしっかり服従できるならば、目に見えない神との正しい関係を構築しやすくなり、幸いを得るようになるのだ。
第六戒は『あなたは殺してはならない。』(出エジプト記20:13)である。
殺人など凶悪犯罪が小年齢化している昨今、人の命のかけがえがなさ、尊さが薄れてきている状態であるが、聖書を知らない大人たちは、命の尊さをうまく説明できない。
聖書には、人がいかに尊い存在であるのかが、書いてある。
『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。』(創世記1:26-28)
人は神の息吹が吹き込まれた神の似姿であり、本来、全ての生き物を治めるものとして創造され、生んで増えて地に満ちる祝福された存在である。
人が神に不従順して罪と死を導入し、神の怒りを受けるべき存在となってもなお神はひとり子を賜ったほどに世を愛し、御子を人の身代わりとして差し出したほどに、人は、神に愛され、大切にされた存在である。
それほどまでに尊ばれた人のいのちを奪う事は、どれほどに神を冒涜する事だろう。
第七戒は『あなたは姦淫してはならない。』(出エジプト記20:14)である。
姦淫とは、妻や夫など唯一愛すべき相手がいるにもかかわらず、それ以外の者と愛の関係を結ぶ事であるが、なぜそれがいけないのか。
『そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。』(創世記2:23)
ここには「ふたりは一体である」と書かれてある。
ソロモンには妻と妾があわせて千人いたが、神は、ご自分のかたちに人を創造され、男と女とに創造されたのは、千対一ではなく、一対一なのだ。
アブラハムにもヤコブにもダビデも妻は複数いたが、いずれの妻も、子供も、それによって災いが起きて不幸になっている。
夫と妻との関係において、主の御心は、一対一である。
これら三つの戒めは、おるべき立場、立つべき立ち位置が示されている。それが創造の秩序であり、それを守ることが人間にとって最も幸いなのである。