メッセージ - どちらの霊を受けるか(エペソ2:1-7)
どちらの霊を受けるか(エペソ2:1-7)
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霊には色々な種類がある。聖書に出てくる霊でも、おくびょうの霊、奴隷の霊、おしとつんぼの霊、病の霊、占いの霊など、色々あるが、それら悪しき霊はサタンをかしらとし、空中に勢力の座を置く「この世の霊」であり、人に入ってはその人に様々な悪しき事を行わせ、災いへと導き、滅びへと向かわせる。
それに対し、神の元から遣わされた霊すなわち「聖霊」があり、その霊はイエス・キリストを告白する。
聖霊を宿し聖霊に導かれて歩む人は、愛、喜び、平安など、様々な良き実を人生において結ぶ。
主を知らずに生きている生来の人は、元々、世の霊に縛られて生きてきた。
彼らは罪の中にあって、この世の流れ(時代、流行)に従い、空中の権威を持つ支配者に従って歩んでいたが、憐れみ豊かな神は、その大きな愛の故に、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所に座らせて下さった。(エペソ2:1-7)
空中、そこには、雑菌のごとく「この世の霊」が漂っており、それらの霊には感情的・意識的な色合いがあって、類似した色合いの人に宿ろうとする。
たとえば、嫉妬深い人には嫉妬の霊が、病んでいる人には病の霊が付着しやすい。
宿主である人は、色合いの似た霊を引き寄せ、その霊はさらに類似した霊を呼び寄せ、そうしてたくさんの霊を抱えてしまう人もいる。(マルコ5:1-20、マタイ12:43-45)
それらの霊に羅患しないコツは、風邪の予防と同じで、御言葉の水でうがいをし、イエス様の血によって消毒・殺菌し、イエス様の愛で心暖かくし、世から何か汚れを受けた、と思ったなら、すぐに真の医者であるイエス様の所に行く事であり、イエス様の元に行くなら、いかに多くの悪霊につかれていても、治癒される。
健やかな体なら多少の風邪菌は何とも無いように、イエス様の健全な教えによって、いつも健全さを保っているなら、空中の諸霊も恐れるに足りない。
イエス様を主としている事、それは全ての面における健やかさと祝福の道である。
イエス様とサタンは、対等ではなく、権威的上下関係にあり、イエス様は最も上、サタンは遥か下である。
この世の霊は、決してイエス様には勝てず、聖霊に支配される人には、悪しき者は触れる事ができない。
私達が救われるのはイエスを「主」とする信仰により、それはいわば、自由意思による「主人転換」である。
私達の中の王座には、一人の主人しか座る事ができない。生来の人は、その王座に「自分」を据え、自分が人生のハンドルを握って生きていたが、その人達はこの世の霊に縛られ、滅びへと向かっている。
しかし、その王座にイエス様に座っていただき、イエス様に人生のハンドルさばきを委ねるなら、すなわち、イエス様を「主」とするなら、もはやサタンも悪霊も、その人に何もできない。サタンの支配からイエス様の支配へ、滅びから救いへ、死からいのちへと転換される。貧しさから豊かさへ、病から健やかさへ、嘆きから喜びへ、呪いから祝福へと、人生のあらゆるものが、良きものへと、造り替えられるのである。
主は、人の自由意思を尊重されるお方で、たとえ主にある救いの道が示されたとしても、それを拒否し、不従順に歩む、という事も出来る。しかし、そのような歩みをした人は、前の状態より、もっと悪くなってしまう。
サウル王は不従順を続けた結果、聖霊が取り上げられ、悪い霊にさい悩まされた。それでもなお頑なに不従順を続け、自分を王とし続けた結果、とても悲惨な最後を遂げてしまった。
神の目に見えない本性が示され、神の永遠の力と神性が、示されていながら、その神を知ろうとも、あがめようとも、感謝しようともしないなら、神は彼らをその心の欲望のままに汚れへと引き渡し、むなしい思いに、暗い心へと引き渡されてしまうのだ。(ローマ1:20-32)
しかし、イエス様を慕い、御言葉に従順し、さらに御元に近づこうとする意思のある人には、聖霊が与えられ、その人は御霊によって導かれ、いつも潤い、決して渇く事が無い。
『イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。』(ヨハネ7:37-39)