メッセージ - 性的な純潔と霊的な純潔(出エジプト記22:16-20)
礼拝説教メッセージ音声:性的な純潔と霊的な純潔(出エジプト記22:16-20):右クリックで保存
『もし人がまだ婚約しない処女を誘って、これと寝たならば、彼は必ずこれに花嫁料を払って、妻としなければならない。もしその父がこれをその人に与えることをかたく拒むならば、彼は処女の花嫁料に当るほどの金を払わなければならない。』(出エジプト記22:16)
婚約もしていない処女と性交渉を持ったなら、彼女を妻として迎えなくてはならず、また、妻や夫もしくは婚約者のいる人が別の異性と性交渉するなら、死刑が定められている。(申命記22:22-24)
また、女性を力づくで犯す事は、殺人にも等しい行為であり(申命記申命記22:25-26)、そのことは、いかに女性の尊厳を傷つける事であるか示されている。
神の基準では、肉体関係を持つべき相手は、死が互いを別つまで、オンリーワンである。
そして、性的な事柄は、霊的な事柄と相通じるものがある。
夫婦はお互い相手に純潔である事を求めるように、主もまた人に「純潔」である事を求めておられる。
当時のカナン地方では、呪術が盛んに行われていたが、それは、悪霊と交わる行為であり、偶像崇拝は、主のねたみを招く「霊的姦淫」である。
『偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。』(1コリント10:19-22)
そして、私達が主を礼拝し、主の聖餐にあずかる事は、主と交わり、主と一体となる事を意味している。
『それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。賢明なあなたがたに訴える。わたしの言うことを、自ら判断してみるがよい。わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。』(1コリント 10:15-17)
男と女の性的な関係は、主と私達の関係のひな形である。
『すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる。』(出エジプト記22:19)
人は神の似姿であり、性行為はその相手と一つとなる事である。それ故、汚れた者や獣と交わる事は、神を大いに侮辱する行為である。
私達のこの体は、キリストの体でり、もしこの体で遊女と寝るなら、キリストの体を取って遊女の体とする行為である。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
しかし主につく者は、主と一つの霊になるのだ。(1コリント6:15-17)
『不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。』(1コリント6:18-20)
偶像崇拝も、不品行も、主を汚す行為である。
「主のほか、他の神々に犠牲をささげる者は、断ち滅ぼされなければならない。」(出エジプト記22:20)
私達は、自らの体を使って、神の栄光をあらわすべきである。