メッセージ - 高慢な妻と慎み深い妻(エステル記1章)

高慢な妻と慎み深い妻(エステル記1章)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » エステル記
執筆 : 
pastor 2013-1-24 18:51

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
高慢な妻と慎み深い妻(エステル記1章):右クリックで保存

【概要】

本日はエステル記と関連聖書箇所を通して、神の御業とキリストの花嫁としての立場、そして高慢や傲慢に陥らない謙遜な信仰の歩みについて説きます。

【聖書箇所】

・エステル記 1章1-9節

・エゼキエル書 28章12-13節および14節以降(サタンの転落に関する記述)

・雅歌 5章2-8節

・雅歌 2章10-15節

【戒めの言葉】

・主の御声に応えず、自らの誇りや美しさに頼ったなら、いつかその尊い冠が奪われることを、今日のエステル記とエゼキエル書が私たちに警告しています。

【励ましの言葉】

・神の御声に敏感に耳を傾け、謙遜な心で応えるなら、あなたはどんな状況にあっても神の御手の保護の中にあります。

【慰めの言葉】

・たとえ遠く離れた異邦の地にあっても、私たちはキリストの花嫁として、神の愛と慰めの中に常に守られていることを忘れてはなりません。

【***詳細***】

今日、私はエステル記の冒頭の場面から、私たちが学ぶべき真理についてお話ししたいと思います。エステル記は、アハシュ⁑ス王の豪華な宴会の記述から始まります。王はシュシャンの城において、王族にも臣下にも惜しみない贈り物とともに、華麗な宴を180日、さらにその後7日間にわたって催しました。**「アハシュ⁑ス王は、金の盃で酒を振る舞い、その豊かな栄光と栄華を民衆に示された」**との記述は、神の世ではなく人間の世の栄光に過ぎません。しかし、この豪華な宴の裏側には、王妃ワシュティが自らの高慢によってその立場を失い、結果として国中の人々の尊敬をも失わせるという重大な教訓が隠されています。

私たちは、エステル記における王妃ワシュティの行動から、謙遜な心で主に仕えるべきという大切なメッセージを読み取ることができます。エステル記のこの部分は、単に古代ペルシアの宮廷劇のような歴史記録ではなく、「私たちは誰の妻なのか?」という問いを現代に向けて問いかけます。王妃ワシュティは、美貌ゆえに傲慢となり、王の呼びかけに応じることを拒んだために、その栄誉が失われ、後により優れた花嫁—謙遜な心のエステル—にその座が譲られました。ここで私たちは、イエス・キリストの花嫁として、主の呼びかけに即座に応え、謙虚にその愛を受け入れることの大切さを学びます。正しい信仰の歩みとは、どんなに美しい外見や才能があろうとも、主の前ではすべてのものが私たちのものではなく、私たちはただ主の召命に従う花嫁であり続けなければならないということを思い起こさせます。

また、エゼキエル書28章では、神がかつて愛された天使長サタンの美しさと知恵、そしてその後の堕落に至る過程が描かれています。**「あなたは知恵に満ち、美の極みであった。しかし、あなたがその美しさに高ぶり、誇りに浸ったため、汚れた者として神の前から追放された」**との言葉は、私たちに高慢の危険性を厳しく戒めています。エステル記の王妃ワシュティもまた、自らの美貌と地位に溺れ、神に対する謙虚な心を失った結果、王の御前から退けられる運命に遭いました。これと対照的に、新たに選ばれたエステルは、その慎ましさと従順さにより、王から特別な庇護を受け、イスラエル民族の救いに大きく貢献しました。

私たちは今日、エステル記の中に現れる歴史的背景を通して、神がどのような人々を御用に召されるのか、そしてどのような心持ちで御前に立つべきかを再確認する必要があります。王妃ワシュティの失敗は、どれほど華やかな環境にあっても神から離れることが、取り返しのつかない結果を招くという警告です。一方、エステルのように謙遜で主への絶対的な信頼を持つ者は、どんなに異国の地であっても神の御心の通りに働くことができるのです。

さらに、雅歌の中にある恋の描写は、キリストとその花嫁たる私たちとの深い交わりを象徴しています。雅歌5章2〜8節には、愛する方が呼びかけ、花嫁がその声に心を震わせる情景が描かれています。**「我が愛する者、美しい人よ、さあ立って出ておいで。あなたの声を聞かせておくれ」**という御言葉に、私たちはどれほど感動し、応えなければならないかを思い知らされます。同様に、雅歌2章10〜15節でも、主からの呼びかけに対して、花嫁が即座に応じる姿が描かれ、主と交わる喜びがあらわされています。

ここで改めて、私たちに問いたいのは「私たちは誰のために生きているのか」ということです。私たちはイエス・キリストの花嫁として御前に召され、たとえ世界のどこにいても、神の王宮と呼ばれる御座は変わらずそこにあります。エルサレムにおいてネヘミヤやエズラが神殿再建に奔走し、その後、遠き異国の地においてもエステルが救いの鍵を握ったように、私たちもどのような環境においても、主への従順と謙虚な心を忘れてはなりません。

確かに、世の中は誘惑と誇りに満ち、どんなに華やかに見えても、その裏側には必ず神の裁きと戒めが存在することを、今日の聖書の記述は示しています。私たちは決してその栄誉に乗り、自己中心的になってはなりません。むしろ、主の呼びかけに敏感になり、心から「私の愛する方は私のもの、私はあの方のものです」と信仰を告白し、日々の生活の中でその証を示すべきです。

神は、私たちに高慢や傲慢に陥らないよう、また、どんな時も主の呼びかけに応え、御言葉に従うようにと望まれています。過去の大いなる歴史の中で、ワシュティがその高慢のために冠を失ったように、もし私たちが自己を高ぶらせ、主の呼びかけに背くなら、いつかその栄誉は取り去られてしまうでしょう。しかし、エステルのように謙虚であるならば、主は必ず祝福と守りをもって私たちと共に在り続け、限りない愛の交わりを約束してくださいます。

最後に、私たちが生きるこの時代においても、神の御声は決して遠くないということを確信してください。日々の忙しさや世俗の誘惑に惑わされることなく、毎朝の祈りと思い起こしの中で、神が私たちに呼びかけておられることを感じ取ってください。イエス様の花嫁として、謙虚に、そして従順に、主の教えと召命に応えるその心を持ち続けることが、私たちの真の栄光と祝福につながるのです。

愛する皆さん、神はあなたの内にその御霊を注ぎ、いつもあなたが歩む道を照らしておられます。いかなる状況においても、主の愛を信じ、御声に敏感に耳を傾け、決して自分の力に頼らず、ただ主の豊かな恵みによって生きることを、心から願っております。

【結論】

本日の聖書の御言葉は、私たちがどのような立場、どのような環境にあっても、主イエス・キリストの花嫁として謙虚に従い、主の呼びかけに即応すべきであるという力強いメッセージです。どうか今日の御言葉を心に刻み、日々主の愛と召命に従う歩みを続け、栄光の冠を失うことなく、永遠に主と交わり続ける信仰の花嫁であられるよう、神の祝福が皆さんに豊かにありますように。

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest