メッセージ - 判決を降す際は(出エジプト記23:1-9)
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今回の箇所は、判決を下す際の戒めである。
主は、人をかたより見る事はされないお方であり、私達にもそれを求めておられる。
『あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。』(出エジプト記23:1)
よく子供の中で(いや、むしろ大人のほうが)気に食わない誰かについてあらぬ悪いうわさを流し、その人を陥れるという事がある。
それは、主の敵が為す事であり、その最後は安らかなものではない。
イゼベルやアハブは悪意の証人を立ててナボテを殺し、パリサイ人達も悪意の証人を立ててイエス様を十字架につけて殺し、ステパノを石で殺すよう仕向けたが、いずれも、悲惨な最後を遂げた。
『あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。』(出エジプト記23:2)
強い者や多数に追随して、皆で悪い方向へと向かってしまうのは、インターネット上でよく行われているし、特に日本人はそのような傾向に陥りやすいが、主は、それをしてはならないと命じておられる。
また、弱い立場の人をかばうあまり、裁判を曲げてしまう事も、してはならないと命じておられる。
過剰な被害者意識も、過剰な加害者意識も、両方とも道を誤らせてしまう元なのだ。
強い者や多数意見に流されたり、弱者に同情したりして、黒を白としたり、白を黒としたりしてはならず、公正にジャッジする事を、主は求めておられる。
『もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければならない。もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起さなければならない。』(出エジプト記23:4)
神はここまで具体的に、公平である事を私達に求めておられる。
というより、敵にこのようにされた場合、あるいは、した場合、仲たがいしている心も和らぐのではないだろうか。
主は公正明大なお方で、情に流されて裁いたりされない。だから私達も、公平であるべきである。
裁きや報復は、主がなさる事。私達は悪に対して悪で返さず、善で返す事によって、罪から守られ、自分の手を汚す事からも守られ、祝福をいただけるのである。
『だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。』(ローマ12:17-21)