メッセージ - 果たすべき責任と与えられる祝福(出エジプト記23:23-33)
果たすべき責任と与えられる祝福(出エジプト記23:23-33)
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- 執筆 :
- pastor 2013-1-31 16:08
礼拝説教メッセージ音声:果たすべき責任と与えられる祝福(出エジプト記23:23-33):右クリックで保存
私達が主に対して果たすべき責任と、それを守った時に与えられる祝福が、今回の箇所で示されている。
『わたしはあなたがたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。あなたの国のうちには流産する者も、不妊の者もいなくなり、わたしはあなたの日数を満たそう。わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、あなたがそこにはいって行く民のすべてをかき乱し、あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう。わたしは、また、くまばちをあなたの先に遣わそう。これが、ヒビ人、カナン人、ヘテ人を、あなたの前から追い払おう。』(出エジプト記23:26-28)
私達は、このような主の祝福と守りが与えられるように祈る事はよくするが、それらの祝福が与えられるのは、条件つきであり、私達の側にも守るべき定めや果たすべき責任があるという事を、忘れている人が多い。
私達が守るべき分とは、私達が主イエスに心を留め、御声に聞き従って背かない事(出エジプト記23:21)、また、以下御言葉に示されている通り、神以外のものを神としない事である。
『あなたは彼らの神々を拝んではならない。仕えてはならない。また、彼らの風習にならってはならない。これらを徹底的に打ちこわし、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。あなたがたの神、主に仕えなさい。』(出エジプト記23:24-25)
主は、偶像に関しては、徹底的に打ち壊し、粉々に打ち砕く事を命じている。それも、かなり徹底として。
人は思うかもしれない。それはなんでもやりすぎでは。人権も何も無いのでは、と。
しかし、イスラエルが辿った道、すなわち、カナンの神々を慕い求めて堕落してしまい、滅ぼされ捕囚されてしまった歴史を見るに、やはり、主のその戒めは正しかったと分かる。
ちょっとだけならいいのでは、という妥協は、禁物である。
ソロモンの堕落にしても、異国の妻を娶ったは、最初はほんのささいな出来心あるいは好奇心だったのかもしれない。
自分には知恵があり、リスクも承知している、だからちょっとだけなら大丈夫だ、深入りしすぎなければいい、と。
しかしソロモンは晩年、その妻達を愛し、彼女たちにそそのかされ、晩年は異国の偶像の宮を各所に作ってしまう程、堕落してしまった。(1列王記11章)
人間、痛みや困難と戦う事には強いが、気持ちよくさせたり高揚させたりしてくれるような誘惑には弱いものだ。
イスラエルはバアル神に魅せられたが、バアル神話は、父である神を倒して権力を奪い、美しく殺戮好きな妻(かつ妹)と共に、敵と戦いを重ねて大活躍する。現代の映画やドラマにすれば、実に受けそうな内容である。
戒律は無いため、欲望の赴くまま好き勝手に出来るし、力づくで隣人や他国を奪うのも良しとされ、性に奔放で、神殿娼婦と交わる事が、神聖な礼拝行為とされ、”できちゃった”不都合な子供は、神に捧げるという名の下に、火の中をくぐらせ抹殺してしまう。
このように肉欲や情欲を沸き立たせるストーリーや、肉欲をそそる礼拝にイスラエルは魅せられ、引きこまれ、まことの神から離れてしまったために、やがて申命記28章にある呪いを、ことごとく受けてしまったのだ。
もし皆さんが、主よりも、テレビの向こう側のアイドルやドラマ、コンピューターグラフィックスを駆使した映像やゲームなど、人の作ったイメージ(idol:偶像)のほうに時間や心やエネルギーを捧げ、それらの内容はすぐに思い出せても、イエス様が成して下さった良き御業をなかなか思い出せないとしたら、偶像礼拝に足を踏み入れている。
イエス様よりも、アイドルやイメージに捧げたお金や時間、空想の方が多く、そして、中々祝福が与えられていない、という「自覚」があるのであれば、そうしたアイドル(偶像)は捨て去り、悔い改め、主に立ち返るべきである。
列王記や歴代誌は、神様のみおしえに歩む良い王様の時代と、神様に背く悪い王様の時代が交互に来る。
神を恐れ御言葉に歩む良い王様の時代は、必ず祝福され、民は幸せになり、戦争に勝利し、必ず栄えた。
しかし、律法を破って偶像を拝む悪い王様の時代は必ず呪われ、不幸になり、戦争には負け、必ず衰退した。
ちょっと良くなって栄えると、すぐ霊的高慢になって堕落してしまい、神を忘れ、呪いに入ってしまう。そして悔い改めると、また再び良くなっていき、、、という繰り返しが、イスラエル王国の歴史である。
皆さんは列王記のような毎日を送っていないだろうか。ちょっと良くなるとすぐ霊的に高慢になって堕落してしまうような。
神以外のものに夢中にさせ神を忘れさせるような「偶像」を徹底して除き去り、主が喜ばれるみおしえを守り行い、祝福の人生を歩み続ける皆さんでありますように!