メッセージ - 血潮による契約(出エジプト記24:1-8)
礼拝説教メッセージ音声:血潮による契約(出エジプト記24:1-8):右クリックで保存
いよいよ主とイスラエルの民との、契約の調印とも言えるべき箇所である。
はじめに主の御元に近づく事が許されたのは、モーセ一人だけだった。(出エジプト記24:1-2)
主はあまりに聖なるお方であり、人がそのまま御前に出ると死ぬしか無いため、必ず仲介者が必要なのだ。
『モーセはきて、主のすべての言葉と、すべてのおきてとを民に告げた。民はみな同音に答えて言った、「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」。そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし、朝はやく起きて山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族に従って十二の柱を建て、イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。』(出エジプト記24:3-5)
民が主の全ての言葉に同意したため、その実体のしるしとして、イスラエルの十二部族に従い十二の柱を建て、主の言葉を文書として書き記した。
契約は口頭での同意の他、文書の取り交わしにて為されるが、日本では印鑑が、西欧ではサインが、そして、神に対しては血が有効なしるしである。
『その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」。そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。』(出エジプト記24:6-8)
日本では、甲乙の契約書に一つの印を押して「割印」とするが、それと同じように、モーセは血の半分を祭壇に注ぎ、もう半分を民に注ぎかけて契約の血とした。
『だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではない。すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。
彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。』(ヘブル9:18)
血はまた、きよめの役割も果たす。
キリストの血は、人を完全にきよめ、死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者とするものである。(ヘブル9:14)
血はまた、いのちを買い戻す代価として有効である。
『それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。』(ヘブル9:15)
この荒野の民は、後に契約を破ってしまう事になるが、人類もまた同じように、神が提示した律法の基準に到達する事は人にはできず、誰もが罰せられるべき存在である。
それ故、人は誰もが、この罪の罰金を誰かに支払ってもらう必要がある。
それを成して下さったのが、イエスであり、ご自身の血潮によって完済して下さった。
『一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。』(マタイ26:26)
私達はこの贖いを、ただ感謝して受け取るのみである。
そして、イエスが流して下さったこの尊い血潮を、裂いて下さった尊い御からだを、ないがしろにしてはならない。