メッセージ - 祭司のつとめ(出エジプト記28:1-5)
礼拝説教メッセージ音声:祭司のつとめ(出エジプト記28:1-5):右クリックで保存
28章と29章は、祭司の務めに関する定めである。
『またイスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとにこさせ、祭司としてわたしに仕えさせ、またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。』(出エジプト記28:1-2)
神は、アロンとその子達が神によって祭司に任命されている
そのように、祭司とは元々、自分からなるものではなく、神から一方的に選ばれ任命されるものであり、その務めは、神と人との間に立って執り成したりいけにえをささげたり、特別な事柄のために仕える仕事である。
『大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。・・・だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。』(ヘブル5:1-5)
祭司はその務めに相応しく、特別な、聖なる衣服を着るよう、主に指示されている。
『あなたはすべて心に知恵ある者、すなわち、わたしが知恵の霊を満たした者たちに語って、アロンの衣服を作らせ、アロンを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。彼らの作るべき衣服は次のとおりである。すなわち胸当、エポデ、衣、市松模様の服、帽子、帯である。彼らはあなたの兄弟アロンとその子たちとのために聖なる衣服を作り、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。彼らは金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸を受け取らなければならない。』(出エジプト記28:3-5)
この衣服は、人間の知恵や感性など”人間のわざ”によるものではなく、神の側から示された型どおりに創られたものでなければならない。
人間の知恵や感性など”人間のわざ”とは、神の御前には「汚れた衣類」のようなものである。(イザヤ64:6)
人が、いかに正しい行いをしようとも、いかに清くなろうとがんばっても、主の御前に”きよい”とされる事は無い、それら行いは、ただ汚れた衣のようである。
主が、その汚れた衣を脱がせて下さり、主が与えて下さる新しい衣を着せられる事によってのみ、清らかにされるのだ。
『時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。主はサタンに言われた、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」。
ヨシュアは汚れた衣を着て、み使の前に立っていたが、み使は自分の前に立っている者どもに言った、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。わたしは言った、「清い帽子を頭にかぶらせなさい」。そこで清い帽子を頭にかぶらせ、衣を彼に着せた。主の使はかたわらに立っていた。』(ゼカリヤ3:1-4)
生まれつきの人間は汚れたものであり、主の御前に出る時、そうした人間的な知恵や感性などは脱ぎ捨てなければならない。
ちょうど、バルテマイがイエス様に呼び出された時、自分のそれまで大切にしてきた外套を脱いだように。
今や、私達キリスト者は、祭司として聖なる務めにあずかる者とされているのだ。
『この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。』(1ペテロ2:5-6)