メッセージ - 祭司としての任職 - きよめ(出エジプト記29:1-9)
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29章は、祭司を任職する際の主の指示である。
『あなたは彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるために、次の事を彼らにしなければならない。すなわち若い雄牛一頭と、きずのない雄羊二頭とを取り、また種入れぬパンと、油を混ぜた種入れぬ菓子と、油を塗った種入れぬせんべいとを取りなさい。これらは小麦粉で作らなければならない。そしてこれを一つのかごに入れ、そのかごに入れたまま、かの一頭の雄牛および二頭の雄羊と共に携えてこなければならない。』(出エジプト記29:1-3)
以上のものが、祭司の任職の際に用意すべきもので、雄牛は罪のためのいけにえとして、雄羊の一頭は全焼のいけにえによるなだめのかおりとして、もう一頭は「任職の雄羊」と呼ばれ、この肉やパンは聖なる食物として祭司が食べるものとなる。
祭司の任職において真っ先に行われる事は、水による清めである。次に、彼らに前章で示された通りの祭服を着させ、そして、任職の油が注がれる。(出エジプト記29:4-7)
そこから続いていけにえが捧げられたり、いけにえの血がつけられたりするが、これらは大祭司キリストが任職されるプロセスや、私達が祭司として任職されるプロセスをも、あらわしている。
「キリスト」とは元々「油注がれた者」という意味であり、油注がれる事は、特別な役割が神から与えられるしるしである。
また、油には聖霊の意味がある。(1サムエル16:13、1ヨハネ2:27)
イエス様は働きのはじめに、まず、水の洗い(バプテスマ)を受けられ、次に聖霊の油注ぎ(聖霊が鳩のように降り留まる)があり、父なる神によって「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」と、公に任職された。(マタイ3:14-17)
私達も祭司とされるためには、まず、清めが必要で、神から任職を受ける必要がある。
私達を清め、神からあかしされるものは、三つあり、そのうちの一つが「御霊(聖霊)」である。
『わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。』(テトス3:5-7)
そして、「血」もまた私達を罪から解放し、清めるため、祭司の任職に必要なものである。
『わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。』(黙示録1:5-6)
また、「御言葉の水」も私達を洗い清め、聖なるものとする。
『キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:26-27)
『このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。あかしをするものが、三つある。』(1ヨハネ 5:6)御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。』(1ヨハネ 5:6-8)
これら三つによって私達はあかしされ、清められ、祭司とされるのである。