メッセージ - 思いを一つにして祈れ(エステル4章)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
思いを一つにして祈れ(エステル4章):右クリックで保存
祈り会:右クリックで保存
【概要】
本日のメッセージは、エステル記4章と第一テモテ2章に見る、困難な時に信仰を貫き、行動する勇気と断固たる決意についての御言葉です。神の導きの中で、自分の責任と使命を再認識し、互いのために祈り続ける大切さを学びます。
【聖書箇所】
・エステル記4章 (特に1節〜14節、15節以降の決意の部分を中心に)
・第一テモテ2章1節〜4節
【慰めの言葉】
苦しい状況の中で、神は常に私たちと共におられ、慰めと希望を与えてくださいます。私たちがどんなに孤独や絶望を感じても、主の御手は決して離れていません。
【励ましの言葉】
エステルが王宮という極限の環境の中で、民族の存亡を担う決断をされたように、私たち一人ひとりにも神の導きが備わっています。たとえ困難な状況に直面しても、主に信頼し、勇気を持って前に進むことが大切です。
【戒めの言葉】
私たちの行動は、時に周囲の運命を左右します。もし無関心や怠惰のままであれば、結果として多くの命や未来が危機に晒されることを、エステル記の中で神は私たちに警告されています。神の戒めに従い、私たちは自らの責任を深く自覚しなければなりません。
【勧めの言葉】
互いに励まし合い、心からの祈りに励む姿勢を持ち続けましょう。実際にエステルが、国のために、民族の救いのために、断食と祈りを求めたように、今この時代においても、私たちが立ち上がって祈ることが、平和と救いを招く大きな力となります。
【悔い改めの促しの言葉】
もし私たちが時に自らの行動において、神の意志に背く選択をしてしまったなら、心から悔い改め、神の御前に立ち帰ることが求められます。過去の失敗を悔い改め、清い心で未来に向かう決意を新たにしましょう。
【***詳細***】
今日、私たちはエステル記4章の物語に深く目を向けます。冒頭、モルデカイが王宮の門の前に出て、着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶって大声で嘆く姿が描かれています。<強調>「モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら…」</強調>この激しい行動は、ユダヤ人全体が直面した絶望と危機を象徴しています。自らの民族の存亡の危機に、モルデカイは自分の内に湧き上がる深い悲しみと、神への信頼、そして民への責任感を表現しました。
これを聞いたエステルは、ただの宮廷内での華やかな存在ではなく、その裏で民の声に耳を傾けなければならない役割を担っていることに気づきました。彼女は、王の宦官ハタクを呼び寄せ、<強調>「どういうわけか、また何のためか」と問いただすよう命じた</強調>その言葉に、私たちはただ美しいだけでなく、民のために命を捧げる覚悟が求められることを学びます。エステルは、自分が王の呼び出しを受けるという厳しい掟の中にありながらも、<強調>「たとえ法令に背いても、私は王のところへ参ります。私は死ななければならないのであれば、死にます。」</強調>という強い決意を持って、神の民としての自覚と使命を貫きました。
ここで、重要なのはエステルだけではありません。モルデカイの痛切なメッセージも、私たちに深い意味を刻み込んでいます。彼は「もしあなたがこのような時に沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかし、あなたもあなたの父の家も滅びよう」と告げました。これは、一人ひとりの行動が民族全体の運命に大きく影響するという、重大な教訓です。私たちの日常生活においても、社会の中で、また家庭や職場で、私たちの選択や行動がどれほど大きな重みを持つかを決して軽視してはなりません。
さらに、エステル記の物語は、奇跡と神の摂理が重なり合っていることを示しています。エステルが王妃として選ばれた偶然、そしてモルデカイとエステルとの信頼関係、さらにはユダヤ人全体が断食と祈りで一つになった瞬間。これらは、決して偶然ではなく、神の導きによって用意された歴史の流れであると確信させられます。私たちの歩む道もまた、たとえ予期せぬ困難や試練があったとしても、神の導きの中にあり、その中でそれぞれの役割を果たすために送り出されているのです。
また、私がこの場で特に注意深くお伝えしたいのは、決して高い地位や権力に甘んじることなく、むしろ民の叫びに応え、必要とされる行動をとる覚悟を持つことの大切さです。エステルは、王の掟に反してでも民のために立ち上がる決意を示しました。これは、私たちにも当てはまることであり、立場や見た目に左右されず、真に神に忠実な者として日々選択していくことが求められています。
このメッセージは、2000年以上にわたり、神がアブラハムに与えた祝福の約束が現代に至るまで続いているという事実をも信じさせてくれます。たとえば、エステル記に描かれる危機や絶望は、一見、ただの歴史的事件のように見えますが、神の永遠の視点から見ると、ユダヤ民族が後の時代に大いなる国として再建された奇跡の一部であります。私たち個々の人生も、大小さまざまな試練や偶然が連なって、今日の自分を形成しています。だからこそ、どんなに小さな選択であっても、神の御心に反するものであってはならず、逆に、主の御前で確固たる決意をもって行動することが求められているのです。
そして、第一テモテ2章1節〜4節の御言葉にもあるように、「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために、願い、祈り、執りなし、感謝が捧げられるようにしなさい」と勧められています。これは、私たちが日々祈りを通して自己を奮い立たせるだけでなく、周囲の者すべてが救われ、平安と安定を手に入れるための大切な働きであると示しています。私たちが互いに励まし合い、心を尽くして祈り続けることで、神は必ずや必要な助けと救いの手を差し伸べてくださいます。
この歴史的な物語が現代の私たちに示しているのは、「立ち上がる勇気」と「互いに祈り合う絆」の大切さです。もし私たちが、今日示されたような使命感を持って、内なる声に正面から向き合い、信仰の歩みを全うするならば、どんな困難な時も必ず救いの光が差し込むことでしょう。たとえ法律や人の掟が私たちを抑えようとする時、神の御前では私たちの正しい行動が明らかとなり、必ずや大きな祝福がもたらされます。
皆さん、どうか今日の聖書箇所に耳を傾け、エステルとモルデカイの勇敢な姿、そして第一テモテの教えにあるように「すべての人のために」祈るという実践を、日常に生かしていただきたいと思います。私自身も、エステル記のその決意に感銘を受け、例え自分が小さな存在であっても、神の御心に従い行動する決意を新たにしております。私たち一人ひとりの祈りが、やがてこの国や世界全体の平和と救いにつながると信じ、力強く励んでいきましょう。
【結論】
本日の御言葉は、エステルとモルデカイのように、どんな過酷な状況にも真実なる信仰によって立ち上がり、他者のために勇気をもって行動することの重要性を教えてくれます。そして、すべての人のために、王や高位の者のために絶え間なく祈るようにという第一テモテの勧めは、私たち一人ひとりに与えられた大切な使命です。どうか私たちも、神の御心に従い、互いに励まし合いながら、平和と救いのために歩みを進めていきましょう。イエス様のお名前によって、皆さんが祝福され、守られますように。アーメン。