メッセージ - 着飾ってただ立つ(エステル5:1-2)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
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【概要】
本日は、エステル記5章の冒頭に見る、エステルが神の民のために命を懸けて謁見に臨んだ勇気と、その無言の振る舞いに秘められた信仰の力を学びます。その姿は、私たちに主の御前に正しく立つための模範を示しておられます。
【聖書箇所】
・エステル記 5章1節〜2節
・1ペテロ 3章1節〜6節
・ルツ記 3章9節
・雅歌 1章9節〜11節
・雅歌 4章9節
【慰めの言葉】
私たちがどんなに弱さや恐れを抱いていても、主はその心の奥にある真実な姿を見逃されません。エステルやルツのように神から与えられた贖いの衣に包まれていれば、どんな困難も乗り越えることができるのです。
【励ましの言葉】
王に謁見に臨むエステルのように、恐れずに主の御前へと進み出る勇気を持ちましょう。たとえ命のリスクがあったとしても、無言の誠実な振る舞いは、必ず主に届く確かな証です。
【戒めの言葉】
自己流の飾り付けや、世俗の価値にとらわれた心では、主の御許へ受け入れられません。主が授ける義の衣を軽んじ、誇示することなく正しい姿勢を保つよう自覚しましょう。
【勧めの言葉】
日々の断食と祈りを通して、自身を清め、霊の油で塗るよう努めましょう。そうする時、主が約束された守りと愛を実感する日が必ず来ると信じ、確信を持って歩みを進めることができます。
【悔い改めの促しの言葉】
もし今まで自分流のやり方で主に近づこうとしていたなら、今一度立ち止まり、真の贖いの衣に心を改めましょう。自分の外面的な飾りではなく、内面からにじみ出る穏やかな霊を、主の愛によって研ぎ澄ませる時です。
【***詳細***】
本日私たちは、エステル記5章1節〜2節に記されているエステルのある勇敢な姿に立ち返ります。エステルは、王妃としての地位を得ながらも、イスラエル民族を救うために自らの命を懸け、呼ばれていないにもかかわらず、敢えて王宮の内庭へと足を踏み入れました。聖書は「エステル記5章1節」にその状況を記録しています。王は、王宮の玉座に座しながらも、エステルに気付き、手に持った金の尺を彼女に向かって差し伸べられたのです。これこそ、神の民の救いを信じたエステルの無言の訴えであり、王でさえもその振る舞いに応じざるをえなかった瞬間でありました。
エステルは、ただ言葉を並べるのではなく、身なりを整え、王妃としての衣装に身を包み、慎ましやかでありながらも厳かな姿で謁見に臨みました。命を賭してでも、イスラエル民族の未来を託すその行動は、現代に暮らす私たちにとっても大変重い意味を持っています。私たちも、主の御前に立つ時、自己流の華美な装いではなく、主ご自身が支給された義の衣、つまりキリストの贖いの霊に満たされた姿で謁見に臨むべきです。聖書は「1ペテロ3章1節〜6節」において、敬虔な婦人が夫に従い、内面の美しさを現すことが、神に喜ばれる姿であると教えています。これは、エステルやルツが示した無言の従順さに通じるものであります。外面的な飾り付けは一過性のものにすぎず、内面に宿る平和な霊こそ、永遠の救いにつながる真実の装いなのです。
さらに、ルツ記におけるルツの姿勢も私たちに大きな示唆を与えます。ルツは、ナオミの導きに従い、体を清め、香り高い油で身を飾り、そして無言で買い戻しの権利を訴えました。聖書「ルツ記3章9節」の言葉には、ルツが「あなたの衣の裾を広げ、私に覆いを与えてください」と謙虚に訴える場面が描かれており、彼女の静かな忍耐と信仰が、最終的にボアズの心を動かしたのです。私たちも、自己主張や派手な言葉に頼るのではなく、内に秘めた静かな誠実さをもって主に謁見すべきです。エステルもまた、王の謁見に臨む際に、断食を三日三晩続け、多くの人々の祈りに支えられ、そして自らも主に信頼するその無言の振る舞いによって、王の心を動かしました。
聖書「雅歌 1章9節〜11節」及び「雅歌 4章9節」に見られるように、真の美しさとは言葉や外見にとどまらず、無言のまなざしや、内面からあふれ出る神の愛に根ざした姿からにじみ出るものです。ソロモン王が愛した女性の美しさは、単なる外面的な装飾だけではなく、彼女の心のあり様、そしてその無言の献身の中にあったのです。現代の私たちも、どんなに世俗の装飾が魅力的であっても、主が与えてくださる義の衣、すなわち救いの恵みによって着飾ることこそが、真に勝ち取るべき美しさであると信じなければなりません。
また、イエス・キリストが十字架上で見せられた無言の忍耐は、義人アベルの血が主の御前で雄弁に叫んだと伝えられる聖書の記述にも重ね合わせることができます。私たちにとって、無言の振る舞いはただ沈黙を守るだけのものではなく、主へ捧げる崇高な証であり、心からの信仰の表現なのです。王に対して、身を粉にして謁見に臨むエステル、そして買い戻しの権利を無言で求めたルツの姿は、私たちに「恐れずに主の御前へ」と叫びかけています。
私たちが日々の生活の中で、自己流の飾り付けや世間の成功、虚飾に頼るならば、主はそれを受け入れず、むしろ外面のみに偏った生き方から離れるよう厳しく戒められます。聖書に記されているように、「我が行い、救いを得ず」とは、自分自身で奮闘することでは決してなく、主から授けられた恵みと義を着こなすことこそが唯一の救いへの道です。主が支給して下さる晴れ着、すなわちイエス・キリストの御顔にあずかるその恵みを、私たちは何よりも大切にしなければなりません。
このように、エステルとルツ、そして雅歌に登場する美しくも勇ましい姿は、現代に生きる私たちにとっての生きた教訓です。たとえ命を賭けるかのような危険な状況にあっても、恐れずに主の御前へと進み、無言の信仰と従順で神の救いを求めるその精神が、いかに尊く、また効果的であるかを思い起こさせます。私たちもまた、日常の中で主から与えられた義の衣を身にまとい、精霊の油で心を満たし、神の前にひたむきな態度で謁見に臨むことができるよう、日々の祈りと自己反省に励みましょう。
どうか、エステルが命をかけたその勇敢な振る舞い、そしてルツが謙虚に従ったその無言の態度が、私たち一人ひとりの心に刻まれ、どんな困難な状況にあっても主に頼る信仰と希望の証として生き続けますように。私たちが自分の作り上げた飾りではなく、真に主から授けられた義の衣を纏い、内面から溢れ出る霊の香りによって神の栄光を称える者とならんことを、主イエス・キリストの御名によって固く宣言いたします。
あらゆる状況の中で、無言の振る舞いが雄弁に神の御心を伝えるという確信のもと、我々は命懸けの信仰、自己犠牲の愛、そして神への絶対的従順をもって、この地上での日々を歩んでいきます。どうか、私たちが姿勢を正して主の御前に謁見し、くださった祝福に応える真摯な信仰の証を見せることができますように。
本日のメッセージを通し、私たちは決して自分自身の力では救いを得られないこと、ただ主ご自身が支給してくださった義の衣にすがることでのみ、救いと勝利がもたらされるという真実を再確認いたします。私たちは世俗的な評価や外見に惑わされることなく、内面から湧き上がる霊の美しさをもって、ひたむきに主の謁見に臨む生きた証人となるよう努めましょう。
【結論】
エステルやルツが見せた無言の振る舞いと真摯な信仰を例として、私たちも主から与えられた義の衣を信じ、恐れずに主の御前に立つ勇気を持ちましょう。日々、真心をもって自己を清め、主の愛によって満たされる生き方こそが、私たちの救いと未来への道であります。