メッセージ - 主が共にいて下さるための執り成し(出エジプト記33:12-23)
主が共にいて下さるための執り成し(出エジプト記33:12-23)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 出エジプト記
- 執筆 :
- pastor 2013-3-18 23:49
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モーセは、主がイスラエルと共に行かれることを願って主に執り成すが、ここで注目すべきポイントは、「あなたは・・・と言いました」「かつてあなたは・・・と仰せになりました」、など、必ず「主が言われた御言葉」を盾に取り、そして願いを申し出ている事である。
私たちも主に願う時、異邦人の祈りのごとくただ願いごとを何百遍繰り返しても効果は無い。御言葉に根拠を置いた祈りこそ、聞かれる祈りである。
『主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。』(出エジプト記33:14)
こうしてモーセは、主が共に行って下さるという口約束はいただいたものの、それだけでは心配だったのかもしれない。イスラエルの民を「わたしたち」として、自分にだけでなく、自分たちイスラエルとも共に行って下さい、と頼む。
『モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。』(出エジプト記33:15-16)
モーセは、あなたが共におられないのなら、あなたの名がつけられたイスラエルは、他の民族と何ら区別が無いではありませんか、それでは主の栄光になりません、と、暗にほのめかしている所が、さすがである。
主が共におられる事。それこそ、神の民と呼ばれるゆえんであり、私達キリスト者も同様である。
『主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。』(出エジプト記33:17)
主はこうしてイスラエルの民と一緒に行って下さる事を約束して下さったが、モーセはなお、食い下がった。
『モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。』(出エジプト記33:18)
民は金の子牛を作って主を激しく怒らせ、殺されても当然の事をしてしまっていたため、主は本当にそんな民と共に行って下さるのだろうか、と、モーセは心配だったのかもしれない。
それに対し、主が言われたのは、「わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」であった。
それは実に心強い言葉である。
主は、民のかたくなさや邪悪さに従ってあしらわれる事をせず、ただ主が恵もうとされるが故に民は恵まれ、ただ主が憐もうとされるが故に民は憐れみを受けられるのだ。
そこには、人間の側の何かは、一切無い。
民が罪深かろうと、かたくなであろうと、主が「そうする」と決められたからには、民はそうされるのだ。
私達も同様に、主から恵みとあわれみを頂けるような要素は一切なく、ただ、主が一方的に私達を憐れんで下さり、ひとり子を世に遣わして私達の罪の身代わりとして下さったからこそ、私達は恵みと憐れみを、ただ受けられるのである。
『また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。』(出エジプト記33:20)
主はあまりに聖であられ、その「聖」に人が触れてしまうなら、人は生きてはおれない。
そこで主は、「わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。」といわれる。(出エジプト記33:20-23)
私達は、主は御手によって私達を悪しき者から守っていて下さる事は良く知っているが、実は、主の「聖」からも守られているのだ。
罪ある人が、石の板をそのまま見るなら、その人は死んでしまう。そこで主は、契約の箱と贖いの蓋によってそれを覆い、人を主の聖なる光によって打たれる事から守って下さった。
主は、神とイスラエルの民との間に、執り成し手であり仲保者であるモーセを備えて下さったように、神と私達との間にも、完全な仲保者であるイエス・キリストを備えて下さった。
私達がそのまま聖なる主の御前に出るなら、ただ打たれて死ぬしか無い。しかし、私達は執り成し手であり仲保者であるキリストにあって、大胆に恵みの御座に近づく事が出来るようになったのである。