メッセージ - 主は報いを忘れない(エステル記6章)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
主は報いを忘れない(エステル記6章):右クリックで保存
【概要】
本日はエステル記6章を通して、神の御手が忠実な者に如何に逆転の栄誉を与えられるか、その力強いメッセージをお伝えします。困難な状況にあっても、主に信頼する者には必ず報いがあるという希望の御言葉です。
【聖書箇所】
・エステル記 6章1-14節
・イザヤ書 61章3節
・伝道者の書 2章26節
【慰めの言葉】
どんなに苦しい時であっても、主は私たちの叫びに耳を傾け、必ず救いと癒しをもたらしてください。
【励ましの言葉】
モルデカイのように、日々誠実な信仰を守り続ける者には、予期せぬ形で神の栄誉と祝福が与えられることを信じましょう。
【戒めの言葉】
誇りや策略に心を奪われ、自己の力だけに頼ることなく、常に謙虚に主の導きを求める生き方を戒めます。
【***詳細***】
愛する兄弟姉妹の皆さん、
本日の説教では、エステル記6章の物語に込められた神の計略と、そこにあらわれる貴重な信仰の真理について深く考えていきます。エステル記6章1節から14節には、ある夜、王が眠れずに記録の書を御前に読み上げさせたところ、王の2人の宦官が王を殺そうと企んでいた情報が記されていました。神は、この危機的な状況の中で、一見何の報いも受けずにいた忠実なモルデカイに、栄誉と昇進という形で報いを与えようとしておられたのです。
聖書はこう語ります。
「その夜、王は眠れなかったので、記録の書を持ってくるように命じ、王の前でそれを読ませた…」
そして、王は問いただす時、心の中で「王が栄誉を与えたいと思われる人は、私以外に誰があろう」と思い、自らの計略を用いて栄誉を得ようと企みました。しかし、神の御心は常に動かず、最終的にはモルデカイへとその栄誉が移されるという大逆転の出来事が起こります。
ここに現れるのは、神が忠実な者をどう見捉え、またどのように賞賛されるかという御業の素晴らしさです。たとえ私たちが、世の権力者や自分自身の知恵、策略に頼ろうと試みても、神の計略の前ではすべてはうまくいかないのです。エステル記のこの出来事は、誠実に主に従う者たちは、どんなに自分の行いが人に認められずとも、最後には必ず神のご加護と報いを得ることを教えています。
また、預言者イザヤは「シオンの悲しむ者たちに、肺の代わりに頭飾を、悲しみの代わりに喜びの油を与える」と記されています(イザヤ書61章3節)。この御言葉は、救い主イエス・キリストの到来を予表すると同時に、困難と悲しみの中にある者たちに与えられる希望と慰めの証です。神は、どんな試練の中にも、いつかは喜びに満ちた栄誉と再生をもたらすと約束してくださっているのです。
さらに、伝道者の書2章26節では、「神は御心にかなう人には知恵と知識と喜びを与え…」と述べられており、悪しき策略に満ちた人間の試みは、ついには神の御前では無力であるという真理を示します。ハマンは自らの高慢と策略により、栄誉を自分のものにしようと企てましたが、結果としてその計略は裏目に出て、逆にモルデカイへと栄誉が移るという結果になりました。この出来事は、誠実に信仰を保つ者たちに対する神の守りと報いの証です。
私たちが日常生活の中で直面するさまざまな困難や不条理も、時としてハマンのような策略に見えるかもしれません。しかし、エステル記の物語が教えている通り、神はどんなときにも、主に信頼している者からは目を離しません。たとえ人々が非情な策略や誇り高い行動に走ろうとも、最終的には真摯に主に従い、祈りと断食をもって歩む者に、逆転の栄誉が与えられるのです。
思い出してください。イスラエル民族は、迫害の危機に晒された時、主にのみ頼り、断食と祈りを捧げ続けました。その結果、神は彼らを助け、王の前で栄誉をもたらし、民族として再び立ち上がらせてくださいました。私たちもまた、家庭や職場、社会で困難にぶつかったとき、自らの知恵に頼りすぎるのではなく、真心から主に信頼し、助けを求めるべきです。
神は私たちの避けどころであり、盾であり、いつも共に歩まれる真の味方です。たとえ、血が変わり山々が海中に没すると聞かされるような厳しい状況でも、神がそばにいてくだされば、私たちは決して揺るがされないと、旧約の御言葉は力強く語っています。私たち信仰者は、誇りや自己中心的な思いに陥るのではなく、常に謙虚に主に心を向け、導きを仰ぐ生き方を選びましょう。
今日のこの説教を通して、私は皆さんに、たとえ周囲の状況がどうであっても、自らの信仰を揺るがさず、ただ主に心を寄せるよう励ましたいと思います。私たちは、モルデカイが示したように、正しい歩みと主への絶対的な信頼によって、そのときには見えなかった栄誉や救いを受けるのです。困難に直面したとき、喜びに溢れる時も、すべて主に感謝し、祈りを絶やさず歩むならば、神は必ずや最も適した方法で私たちを高みに引き上げ、その計画を成就してくださいました。
どうか、私たち一人ひとりがこの御言葉を心に刻み、日々の生活の中で主の御前に低くたれ、誠実な信仰を保ちながら歩むことができますように。主イエス・キリストのお名前によって、私たちの歩みが祝福され、真の平安と栄誉が与えられることを信じ、力強く進んでまいりましょう。
【結論】
神は、忠実に主に従う者たちに必ず逆転の栄誉と祝福を授けてくださいます。どんな苦境の中にあっても、私たちは謙虚に主への信頼を絶やさず、常に祈りと断食をもって主に従い続けるべきです。主イエス・キリストのお名前によって、皆さんの信仰が確かなものとなり、これからの人生に豊かな恵みと救いが満ち溢れますように。アーメン。