メッセージ - 自ら進んで捧げる奉仕(出エジプト記35:1-29)
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前回までは、主から「礼拝をこうしなさい」という、言葉による示しのみだったが、今回の箇所から、イスラエルはその礼拝の中心である幕屋建造の行動に入るが、それにあたり、主は再び、安息日の尊守を命じられた。(出エジプト記35:1-3)
主の働きにおいては、「主を覚えて安息する事」を、何より優先させなければならない。
奉仕にばかり気を取られて忙しくし、肝心の礼拝は寝てしまったり体調を崩したり、といった本末転倒を演じる人がいるが、奉仕の内に、しっかり主を覚え、安息する事こそ大事である。
『あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。』(出エジプト記35:5)
4節から9節では、幕屋建造において必要な資材を、心から進んで捧げる人から受け取るように、言われている。
捧げる時に大事な事は、「心から喜んで捧げる」事である。
『すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。』(出エジプト記35:10)
幕屋の祭具や装飾を造るためには、特に知恵や技術が必要であり、10節から19節では、知恵や技術を捧げる事が勧められている。
礼拝においても、特別な知恵や技術が、主から賜物として与えられている人は、それぞれが力量に応じて主に捧げ、与えられているものを主のために用いるべきである。
パイロットの資質も訓練もしない者が、飛行機を操縦したら、大変な事になるのは容易に想像できるが、主にささげる礼拝の事柄は、飛行機の操縦よりも重要である。
知恵や技術を主から与えられられていない者が、身勝手にしゃしゃり出てはならないのだ。
『すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。』(出エジプト記35:21)
ここは直訳的には「心が沸き立たされた人、霊(主の息吹)が促された人」が、作業や奉仕に携わり、捧げ物を持ってきた、という事である。
すなわち、心が感動し、喜んで「したい」という思いが与えられた人、また、霊において「せざるを得ない」衝動が湧いてきて、突き動かされた人が、奉仕を為したのである。
『すなわち、すべて心から喜んでする男女は、鼻輪、耳輪、指輪、首飾り、およびすべての金の飾りを携えてきた。すべて金のささげ物を主にささげる者はそのようにした。』(出エジプト記35:22)
ここで「男女」という言葉が使われているが、幕屋建造においては、男性ばかりでなく女性も、主への奉仕や、捧げ物、技術提供に参加し、特に、布や革製品を紡ぐ奉仕には、女性が活躍した。(25−26節)
アロンはかつて金の子牛を造る時、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」と言って、それぞれの家庭の中から金を徴収したが、偶像をまつる異教徒は、必ずと言っていい程、家族の財産を持ち寄るよう強要し、家庭を犠牲にする。
主への奉仕は、それとは真逆であり、感謝と喜びに溢れて心から進んで為すもの、主もまた、そのように捧げた人を豊かに祝福して下さる。
主は、進んで捧げる人には、豊かに報いて下さる事を、第二コリント9章にて、パウロが示している。
『わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。』(2コリント9:6-7)
そして、心から進んで捧げた人にはさらに豊かに恵みを与え、満ち足らせ、さらに全ての良きわざに富ませて下さるお方である。(同8-9節)
『種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。』(同10-12節)
永遠なる主に、喜んで奉仕し、捧げる人を、主は、あらゆる点で豊かにし、さらに惜しみなく与えるようにして下さり、そこからさらなる感謝が生み出され、そうして、聖徒全体の必要を主は満たし、余らせるのである。