メッセージ - 先のしゅろの日と後のしゅろの日(黙示録7:9-17)

先のしゅろの日と後のしゅろの日(黙示録7:9-17)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2013-3-24 16:15

先のしゅろの日と後のしゅろの日(黙示録7:9-17)
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本日は教会暦では「しゅろの聖日(パームサンデー)」、すなわち、イエス様がろばに乗ってエルサレムに入城し、人々が自分の衣服や「しゅろの葉」を置いて「ホサナ」と叫びつつ歓迎した日に相当し(マタイ21:6-11)、次週主日のイースター(復活祭)までの1週間を「受難週(Passion Week)」 としている。

その日、大勢の人々が、ろばに乗ってエルサレムに入城する柔和な様子のイエス様を、しゅろの葉を手に持って、「ホザナ」と叫びつつ両手を挙げて歓迎し、弟子たちも意気揚々としていた。
非常に絵になる場面であり、一見、イエス様が高く上げられているように見えるが、彼らは、自分が「ホサナ(”おお、救い給え”という意味)」と叫んだ相手が、何者で、どういう人物であるか、一体何から「救って」下さるのかを、実は、分かっていなかった。(マタイ21:10-11)その証拠に、一週間後、群衆は一変して「イエス様を十字架につけろ!」と叫ぶ側に回ってしまい、弟子たちも、一人残らず逃げてしまう。
人々はそれぞれの身勝手なメシヤ像を思い描き、当時のローマ帝国の圧制から”救われ”、力強い指導としてイスラエルを再興してくれる事をイエス様に期待したり(使徒1:6)、パンをいつでも提供してくれる王として期待したり(ヨハネ6:14-15)、別の人達は、病気や悪霊を追い出してくれる人としたり。ようするに、イエス様を、「何か自分の願望を満たしてくれるべき人」という、身勝手な幻想を抱いていたのだった。
そのような、身勝手な幻想を抱いている人は、イエス様が自分の願望を満たしてくれないと分かると、とたんに「除け、除け、十字架につけろ!」と、手のひらを返したように叫ぶ側になってしまうもので、自分の中に罪があると示されたり、悔い改めるよう促されたり、十字架を負ってついて来るように言われたりすると、そんなメシヤはいらない、除け、となってしまうのだ。
実際、イエス様が自分の思い通りに行かないと分かると、それで信仰を離れてしまった人達は多い。

先のエルサレムでの「しゅろの日」は、信仰があやふやな人達の身勝手なホザナで満ち、彼等が喜び迎えたイエス様を、わずか一週間後に十字架につけてしまったが、後には「もう一つのしゅろの日」が訪れる。
その日、あらゆる国民、部族、国語の中から、誰にも数え切れぬ程の大勢の群衆、すなわち、イエス様が十字架で流された血潮によって衣を白く清めた群衆が、しゅろの枝を手に持って、大声で叫んで言う。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」(黙示録7:10)
この群衆は、救いはどこから来るのか、誰にあるのかを、明確に分かっていて、それを叫んでいる。

世の多くの人達は、かつての「しゅろの日」の人達のように、救いが何であるのかも、どこから来るのかも、履き違えている人が多い。「救いはお金にある」「救いは権力にある」「救いは美貌にある」等など。
そもそも彼らはなぜ、救いを求めるのか。それは、何かしらの災い、例えば、「自然災害」という災い、「老い」という災い、「人からの拒絶」という災いなどから逃れるためだ。
彼等は、それら災いに備えつつ、罪という災いを積み重ね、神の怒りという究極の災いを、積み立てている。
最も根本的な災いは、死であり、罪であり、神との断絶である。唯一、イエス様こそ、それらの災いから人類を救って下さるお方であり、イエスを主とするなら、その他「災い」と言われるものは、もはや力を失う。

世の人達は、災いに備えて罪の災いを行ない、神との断絶という永遠の災いを積み立てている。
しかし、キリストにある人々は、災いの大元である罪を、小羊の血で洗い清め、世のあらゆる災いから逃れ、守られる保証が与えられ、昼も夜も聖所にて神に仕え、永遠にいのちの務めを為すのである。
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」(黙示録7:14-17)
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」この告白にしっかりと立ち、しゅろの枝を手に持った大勢の群衆と共に、主をほめたたえる恵みを得る皆さんでありますように!

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