メッセージ - 求めよ。そうすれば受ける。(ヨハネ16:22-24)鄭先生特別メッセージ音声 한국어예배
求めよ。そうすれば受ける。(ヨハネ16:22-24)鄭先生特別メッセージ音声 한국어예배
神を信じる者は祈る資格と同時に義務が与えられている。
祈りは会話であり呼吸である。祈らない者は聖徒として死んだも同じである。
親子の間に愛が溢れているなら会話が弾むように、神を愛する者はよく祈る。
人は知恵が必要であり、知恵が与えられるように祈るべきである(ヤコブ1:5)。
物質的必要も大いに求めるべきであり、求めすぎても咎めるという事をしない主には祈らなくては損である。
ただし、主は、必要は満たしても欲は満たさない。
地上のものはすぐ無くなるが、天のものは永遠に無くならない。
コロサイ3:1にあるとおり、上にあるもの、すなわち健康や物だけでなく賜物を求めるべきだ。
霊の人は御霊の実を結ぶ。いかに異言や預言を語ろうとも、賛美し祈ったその口で兄弟姉妹の悪口を言うような者は、聖なる者からではなく悪しき者から来ている。
信じる者にはマルコ16:17のしるしが伴われる。
隣人を変えてくださいと祈るよりも、自分が変わるよう祈るべきである。なぜなら神さえ人を強制的に変えるような事はなさらないからだ。
どのような祈りが聞かれるか。それは、みことばの通りに祈る祈りである。
不正な裁判官のたとえ(ルカ18:1-8)や、ハンナ(1サムエル1章)のように、確信が来るまで祈りぬくべきである。
祈っているうちに「下さい」から「信じます」に変わり、さらには「感謝」に変わってゆく。
主は「あなたの信仰どおりなれ」と言われた。
祈って祝福が与えられ、杯が満ち溢れる皆さんでありますように!