メッセージ - 主が与えられる匠の技(出エジプト記36:8-38)
礼拝説教メッセージ音声:主が与えられる匠の技(出エジプト記36:8-38):右クリックで保存
今回の箇所は、内容的には26章の幕屋建造命令とほぼ一致している。
ただ、26章では「**としなければならない」という命令だったのに対し、ここ36章では、「**とした」と、主が命じられた通り一つ一つを実施した事が書かれてある。
私達は、26章のような設計書的な、仕様書的な文書を示されても、あまりピンと来ない。
たとえば、『あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。』(出エジプト記26:1)と言われても、ケルビムなど見たことは無いし、単に人のような形をうっすら表現すれば良いのか、それとも誰かをモデルにして表情まで細かに表現すべきか等、もう少し具体的に図解して頂かないと、一つも作業が進められない、と思うものだが、しかしこの工匠たちは、それだけで理解し、主からの知恵とイメージが与えられ、御心の通りに実際に造ったのだ。
主から示しが与えられるとは、そのような事である。
ある人達にとっては、さっぱりイメージが沸かない事でも、主が名指しされた働き人には、ありありとイメージが浮かび、しかも、喜びとやりがいを持って、その通りに実行するものである。
それは意匠に限らず、聖書のメッセージや賛美リード、集会の導きなど、主の導きに忠実に従ってリードする人は、人間業ではあり得ないような、素晴らしい働きを、やりがいと喜びを持って為すのだ。
それは人間の働きではなく、主の働きだからである。
主は、ある人にはこの賜物、ある人には別の賜物を与えられ、それぞれは違った働きをしていくが、それらを与えられたのは、同じ主であり、同じキリストのからだを建て上げるために、それぞれ与えられたのである。(エペソ4:11-16)
主の導きは、時に、人の思いを遥かに超えて、思いもよらぬ方向に導く事があるが、そのような時、主は必ず、どのようにすれば良いのかを教えて下さる。
『あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。・・・あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。』(1ヨハネ 2:20,27)
ここで言われている油はクリスマ、注ぐ油ではなく軟膏のような塗り油である。
この、私達に留まっている聖霊の油が、私達に全ての事を教えて下さるのである。
普通の人には、さっぱりイメージが沸かない事を、主は「せよ」と言われる事があったとしても、主がそう言われたからには、必ず、必要な資材も、資金も、職人も、知恵も、力も、全て備えて下さるのだ。