メッセージ - 尊い事に用いられる奉仕者(出エジプト記37:1-29)
礼拝説教メッセージ音声:尊い事に用いられる奉仕者(出エジプト記37:1-29):右クリックで保存
今回の箇所は、聖所や至聖所にて用いられる祭具を造るよう25章にて命令された内容とほぼ一致しており、25章では「**としなければならない」という命令だったのが、ここ37章では、「**とした」と、主が命じられた通りに実行した事が書かれてある。
前章の幕屋の幕や土台などは、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者たちが造ったが、この、聖所や至聖所に安置される特別な祭具は、特別に知恵が注がれた人・ベツァルエルが直接造った。
契約の箱など祭具の内で最も聖なるものが、ベツァルエルという人によって造られた、というのは、クリスチャンの中では、あまり知られていないかもしれない。
そうした聖なるものは、人の手によるもの、というより、神の手によって造られた感じがするからだ。
実際、それを造られたのは神である。
確かにベツァルエルの手によって造られたが、それをデザインし、人の頭にイメージさせ、それを造るための手のわざをも与えられたのは、神であり、それを聖なるものとされたのも、神であるからだ。
それ故、神の国のわざを為す時は、ベツァルエルなど個人の栄光ではなく、神の栄光となるものである。
いつまでも残る永遠のわざ。それは、イエスキリストにあって為すわざである。
ベツァルエルは特別なことに用いられたように、聖徒達の中にも、ある人は尊いことに用いられ、別の人はそうでない事が、確かにある。
『大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。』(2テモテ2:20)
私達も主にあって良い事に用いられたいのであるなら、自ら内から卑しいものを取り除き、きよめられた器となるべきである。
特に私達の内から取り除くべきは、俗悪なむだ話であるとパウロはこの箇所で言っている。
『あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。
しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。』(2テモテ2:15-19)
ここで言われているとおり、真理の御言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人となって、自分を神にささげるのであれば、私達も尊い事に用いられる器とされ、さらに主にあって有用な者へと造り変えられて行くのである。。
口から俗悪な無駄話を取り除き、むしろ口からは真理の御言葉を正しく語り、ますます尊い事に用いられる器となっていく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!