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メッセージ - 全身全霊の捧げ物(レビ記1:1-9)

全身全霊の捧げ物(レビ記1:1-9)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » レビ記
執筆 : 
pastor 2013-4-8 23:21

礼拝説教メッセージ音声:全身全霊の捧げ物(レビ記1:1-9):右クリックで保存

レビ記1章から7章までは、神様に捧げるべき捧げ物について記されており、ここ一章では、燔祭(全焼のいけにえ)についての主の命令が記されている。
和解のいけにえや罪のためのいけにえ等は、和解や罪のゆるし等、要件がある故に捧げるものであるのに対し、この全焼のいけにえは、純粋に自ら進んで捧げるものである。

『「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうちだれでも家畜の供え物を主にささげるときは、牛または羊を供え物としてささげなければならない。もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。』(レビ記1:2-3)

主はこれをイスラエルの人々全員に対して言っている。
日本語の聖書では分かりづらいが、この燔祭、すなわち全焼のいけにえは、自ら進んで捧げるものである。
KJVでは3節に「he shall offer it of his own voluntary will」とある。すなわち、自発的な意思によって捧げるもので、強制ではない。
つまり、捧げなくても良いといえば良い。その点は教会の献金と同じであるが、「少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。」の御言葉どおりである。(2コリント9:6)

「もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。」
もし主に捧げるのであれば、それは、傷のつきの、余り物のような、そんなどうでも良いものであってはならない。愛する相手にプレゼントする時、傷モノを贈るとしたら、かえって相手を怒らせ、逆効果であるのと同じである。

また、捧げ物全般に言える事は、それは「家畜」からであって、野で狩猟したものを捧げものにさせるような命令は、どこにも無い。
狩猟は、いわば自然界のものを分捕り奪って来たもので、自分の財産を痛めるものではないが、家畜は、自らの手で育てたものであり、捧げる時に、ある種の痛みを覚える。
ささげものはヘブル語でコルバン、それは「犠牲」も意味し、主への捧げ物は、必ず犠牲をともなうものである。

神は、清く傷の無い御子キリストを捧げるという、究極の痛みを担われ、イエスキリストは、御自身を捧げるという、究極の犠牲を捧げらえた。
『こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。』(エペソ5:1-2)
キリストは十字架上で「わたしは渇く」と言われ、霊も肉も全身が焼き尽くされる苦しみを味わい、そのキリストが十字架という祭壇で捧げられ尽くした事によって、御父は完全に宥められた。

『彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。』(レビ記1:4)
頭に手を置く行為は、その対象と一体化する事を意味している。
つまり、捧げる人は、獣の上に手を置く事によって一体化し、獣が全焼のいけにえとして捧げられる時、その人自身も全身全霊、主の御前に捧げられた事になる。

『彼は主の前でその子牛をほふり、アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、その血を注ぎかけなければならない。彼はまたその燔祭の獣の皮をはぎ、節々に切り分かたなければならない。』(レビ記1:5-6)
獣をほふるのは、その人自身である事に注目したい。
その獣を養い育てた本人自らが、手をかけ、血を流し、死なせるのだ。それは実に、心に痛みが伴う行為である。
事実、キリストに手をかけ、血を流し、十字架上で死なせたのは、私達自身である。
彼の犠牲の故に、私達は救われた。その事をいつも覚えるべきである。

そして、キリストが御自身を捧げられたように、私達も、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神である主を愛し、ささげるべきである。
『兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。』(ローマ12:1-2)

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