メッセージ - 信仰を用いて理不尽な法に勝つ(エステル記8:1-8)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
信仰を用いて理不尽な法に勝つ(エステル記8:1-8):右クリックで保存
【概要】
本日のメッセージは、エステル記8章1節から8節の御言葉を通して、神の御計画の中で信仰と勇気がどのように働くかを学ぶものです。私たちはまた、信仰により罪と死の呪いに対抗できる力が与えられていることを確信します。
【聖書箇所】
・エステル8:1-8
・ヘブル11:1
・マタイ16:15-19
【慰めの言葉】
私たちが絶望の淵にあっても、神は必ず救いの道をお示しくださいます。どんな取り消しの効かぬ罪の法則の中にも、イエス・キリストという救いのカウンター法令が確かに働いています。
【励ましの言葉】
エステルが自らのためだけでなく民族のために勇気ある一歩を踏み出したように、私たちも日々の信仰において立ち上がり、神の与えられた権威を信じ、行動すべきです。神はあなたに天の御国の鍵をお与えになっておられます。
【戒めの言葉】
一度発せられた罪の法則は取り消しができないと聖書は教えています。しかし、私たちが何も行動せず、ただ流されるならば、罪の罠に陥ってしまいます。今一度、心を引き締め、信仰の権利証書に正しく記された御言葉に従うよう戒めます。
【勧めの言葉】
神が私たちに与えてくださった貴重な信仰の実印を、惜しみなく用いてください。王がエステルに指輪を託し、自由に法令を書き換えるよう命じたように、私たちもイエス・キリストの御名にあって、罪と死の呪いに対抗する権威を積極的に宣言し、実践しましょう。
【悔い改めの促しの言葉】
もしも今、信仰を働かせることなく日々を過ごしているなら、自らの心を省みてください。罪に満ちた古い自分を悔い改め、救いと祝福に満ちた新しい霊の法則に立ち返る時です。悔い改めを通して、神の恵みと救いの計画に再び立ち返りましょう。
【***詳細***】
本日の御言葉は、まずエステル記8章1節から8節に見るように、**「エステル8:1-8」**の中で、アハシュシュ王が王妃エステルを通してユダヤ人に対する迫害を企んだ者たちの法令を取り消すため、王の指輪と実印を授けられた出来事に端を発します。エステルは自らの危険を顧みず、愛する民族のために立ち上がり、悩み苦しむ民の声を代弁しました。神の御心が働かれるその瞬間、エステルの深い信仰と決意が、取り消すことのできない法令に対して、対抗法令を授ける王の権威と結びつけられたのです。
この出来事において、王の指輪――すなわち実印が持つ権威は、私たちにとって大きな象徴です。聖書は「エステル8:8」において、王の指輪で印を押された文書は「誰も取り消すことができない」と強調しています。これは、私たちが何かあるべき姿、すなわち神の祝福や救いに関して、信仰によって確固たる権利証書を得るという確信に重ね合わせることができます。罪と死の法則は、人間の力では取り消すことのできない厳然たる現実ですが、天の父なる神は、イエス・キリストを通してその呪いに対抗するためのカウンター法令を与えてくださいました。
そして、筆者はここで、信仰とは「望んでいる事柄の権利証書」とも言えると説いています。これは、**「ヘブル11:1」**の御言葉にあるように、「信仰は、望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるもの」です。私たちの信仰は、まさにこの保証、あるいは権利証書として、天においても地上においても有効なものです。もし、信仰を働かせ、神が与えてくださった実印――すなわちイエス・キリストの救いの権威――を用いるならば、どんな困難な状況であっても、神の救いの計画に基づく祝福を宣言し、罪と死に対して立ち向かうことができるのです。
また、イエス・キリストが語られた**「マタイ16:15-19」**の御言葉において、「あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を建てる」と語られたことは、私たち一人ひとりが信仰告白の上に立ち、またその信仰の告白を通して、天の御国への鍵を授かっていることを象徴しています。イエスは、ペテロに天の御国の鍵を託し、地上で「つなぐ」もしくは「解く」権威を与えました。これは、私たちにも同様に、信仰の宣言をもって、呪いに対抗し、祝福を宣言する特権が与えられていることを示しているのです。
エステル記のこの物語は、ただ歴史上の出来事として語られるのではなく、現代に生きる私たちに対しても深いメッセージを投げかけています。今の時代、私たちは日々の生活の中で、身体的な病や試練、経済的な困難、または精神的な葛藤にさらされることが多々あります。しかし、これらの状況は決して偶然のものではなく、罪の法則が働く現実の反映です。しかし、同時に、私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって、神の御国の権威に参与しているのです。
信仰を働かせるということは、自らの意思で神の与えてくださった権威の実印―つまり、霊的な証書―に記された約束を宣言することです。たとえば、私たちが何か問題に直面した時、「この病はイエス・キリストが追い払ってくださった」と信じ、宣言するならば、その信仰は確固たる権利証書となり、天の御国においても実態を伴った祝福として現れるのです。エステルが自らの民族を救うために立ち上がったように、私たちも信仰をもって困難に打ち勝つ、あるいは神の祝福を引き寄せる力が与えられているのだという確信を新たにしましょう。
また、ここで気をつけるべきは、神が与えてくださった実印をただ所有するだけではなく、それを積極的に活用することの大切さです。もし、モルデカイが王から授かった実印を用いなかったなら、ユダヤ人の危機は免れなかったでしょう。これは、私たち自身も同様に、神の権威に預かりながら日常の中で信仰を宣言し、実践しないならば、罪の中に沈んでしまう危険性を示しています。したがって、私たちは決して受動的な信仰者に留まらず、積極的に神の御言葉に従い、日々の生活の中でその権威を発揮する努力を怠ってはならないのです。
このように、エステル記、ヘブルの御言葉、そしてイエスが語られた御言葉は、私たちに「信仰を働かせよ」という強いメッセージを送っています。信仰は、ただの心の状態ではなく、積極的な力の働きであり、宣言すれば現実になる霊的な権利証書なのです。私たちがイエス・キリストを信じ、その救いの福音に立脚するならば、どのような取り消しのできぬ呪いの法則にも対抗でき、むしろ神の恵みと祝福が確固たる形で現れるのです。
どうか、皆さんもこの日のお言葉を胸に刻み、生命に満ちた信仰の歩みを日々実践してください。受動的な存在ではなく、エステルやペテロ、そしてモルデカイのように、神の定められた役割と権威を喜んで担い、どんな困難にも立ち向かう勇気ある信仰者となることを切に願います。天の御国の鍵があなたの手にあることを思い出し、言葉と行いによってその偉大な権威を現す日々となりますように。
【結論】
私たちの信仰は、エステルの勇気やペテロの告白に象徴されるように、天の御国への確かな権利証書です。日々の生活の中で、イエス・キリストの御名による権威と実印を積極的に働かせ、罪と死の呪いに対抗する信仰の宣言を実践していきましょう。愛する主イエスの御名によって、私たちは必ず勝利し、永遠の祝福に満たされるのです。