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メッセージ - 酬恩祭 - 和解のいけにえ(レビ記3:1-17)

酬恩祭 - 和解のいけにえ(レビ記3:1-17)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » レビ記
執筆 : 
pastor 2013-4-13 23:53

礼拝説教メッセージ音声:酬恩祭 - 和解のいけにえ(レビ記3:1-17):右クリックで保存

『もし彼の供え物が酬恩祭の犠牲であって、牛をささげるのであれば、雌雄いずれであっても、全きものを主の前にささげなければならない。』(レビ3:1)
和解のいけにえ、すなわち酬恩祭は、捧げる人がその手をいけにえの頭に置く事や、いけにえをほふった血を祭壇の周りに注ぐ事、解体して火で焼く点では、全焼のいけにえと同じだが、ささげる動物は雄でも雌でも良い、とうい点で、全焼のいけにえと違う。

私達はキリストにあって神と和解した故、その救いには、男女の違いや、人種の違いなどは無いのである。キリストにあって皆、ひとつである。
『キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。』(ガラテヤ3:27-29)

もう一点、全焼のいけにえと違うのは、全焼のいけにえはからだの全てを火で焼いて捧げるのに対し、和解のいけにえは、内蔵や脂肪のみを焼いて主に捧げ、胸や足などの肉は、捧げた人や祭司が食することが出来る。(レビ記7:11-34)
つまり、和解のいけにえに関しては、神と人と、祭司とが、同じ一つのからだを食す事になる。
これはまさしく、キリストを意味している。

『あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。』(エペソ2:13-19)

キリストこそ、唯一、神と人との仲保者であり、まことの大祭司である。
私達キリスト者も、聖餐において、キリストのこの裂かれた肉であるパンと、キリストの流された血潮である杯に与る事によって、キリストと一つとされ、神と和解するのである。

『わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。』(1コリント11:23-25)

和解のいけにえは、汚れた人が食べてはならない、と定められている。
主と和解したいという意思があり、それに相応しく身を清め、主に対してそれなりの敬意を払う者のみが、食することが出来るのである。
『もし人がその身に汚れがあるのに、主にささげた酬恩祭の犠牲の肉を食べるならば、その人は民のうちから断たれるであろう。また人がもしすべて汚れたもの、すなわち人の汚れ、あるいは汚れた獣、あるいは汚れた這うものに触れながら、主にささげた酬恩祭の犠牲の肉を食べるならば、その人は民のうちから断たれるであろう。』(レビ記7:20-21)

同じように、聖餐のパンと杯でも同じ事が言える。
『だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。』(1コリント11:27-29)

ここで「ふさわしくない」とは、罪を犯す・犯さないの問題ではなく、キリストを「記念し」「覚え」、みからだを「わきまえ」るかどうかである。
もし罪を犯した者は聖餐にあずかれないとするなら、人間は誰も聖餐にあずかれない。
ただ、私達の罪の身代わりとなり、和解のいけにえとなって下さったキリストを覚え、キリストを記念し、罪赦された事をわきまえる者こそ、聖餐にあずかれるのである。

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