メッセージ - 燔祭(全焼のいけにえ)に関する祭司のつとめ(レビ記6:8-13)
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『アロンとその子たちに命じて言いなさい』(レビ記6:9)
1-5章までは、イスラエルの一般人が適用すべき、捧げものに関する規定だったが、今回の箇所からは、「アロンとその子たち」すなわち祭司たちが適用すべき命令となり、イスラエルの民から受け取った各種の捧げものを、どのように扱うべきかが、書かれてある。
『燔祭のおきては次のとおりである。燔祭は祭壇の炉の上に、朝まで夜もすがらあるようにし、そこに祭壇の火を燃え続かせなければならない。・・・祭壇の上の火は、そこに燃え続かせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、たきぎをその上に燃やし、燔祭をその上に並べ、また酬恩祭の脂肪をその上で焼かなければならない。火は絶えず祭壇の上に燃え続かせ、これを消してはならない。』(レビ記6:9-13)
まず、燔祭(全焼のいけにえ)については、祭壇の上に朝まであるようにし、祭壇の火を常に燃え続けさせなければならない。
燔祭は、イスラエルの民の自由意思による捧げものだったが、それとは別に、朝ごと夕ごとに捧げられる全焼のいけにえがあり、それは以前、出エジプト記で命じられていた通りである。
『あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。一頭の小羊には、つぶして取った油一ヒンの四分の一をまぜた麦粉十分の一エパを添え、また灌祭として、ぶどう酒一ヒンの四分の一を添えなければならない。
他の一頭の小羊は夕にこれをささげ、朝の素祭および灌祭と同じものをこれに添えてささげ、香ばしいかおりのために主にささげる火祭としなければならない。これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、あなたと語るであろう。』(出エジプト記29:38-42)
たとい、全焼のいけにえを捧げる人が、一人もいない日であったとしても、祭司は、日夜、全焼のいけにえを捧げなくてはならない。
そして、主の御前に絶えず捧げているのであれば、主は私達に会い、私達と語られるのである。
なぜなら、現代においては、私達・キリスト者こそ、祭司だからである。
『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。』(1ペテロ2:9-10)
祭司は、地上での土地の相続が無い代わりに、主ご自身が相続であり、主の宮で仕え、主への供え物を受け取れるなど、世俗の人に比べれば特権的ではあるが、しかし同時に、それなりの責任と、日々務めるべき任務がある事を忘れてはならない。
燔祭、すなわち主に対する全身全霊の捧げもの、それは祭司が、日々怠りなく主に捧げるべきものであり、たとい、周りに一人も主に自らを捧げる人がいないとしても、祭司とされた私達は、日々、自らを主に捧げるべきなのだ。
現在の私達も、キリストの十字架という祭壇の上に、日々、身も心もささげ、自分の意思を降ろしてキリストに服従させ、そうして日々主に仕えるのであれば、私達はますます聖なる器として用いられるようになり、私達が執り成す人々も、祝福されるのである。