メッセージ - 容赦してはならぬ時(エステル記9:1-19)
礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
容赦してはならぬ時(エステル記9:1-19):右クリックで保存
【概要】
本日の御言葉は、ユダヤ人が絶望の中から神の守りによって勝利を得られたエステルの御業と、エリシャを通して神の命令に従うことの大切さを示された列王記の御言葉により、神の御業と信仰に基づいた断固たる行動の必要性を教えています。
【聖書箇所】
エステル9:1-19
列王記13:14-19
【慰めの言葉】
どんなに暗く見える状況でも、神は常に御自分の民を守り、絶望の中にも導きと慰めをお与えになります。
【励ましの言葉】
私たちがおのおのの信仰に立ち返り、神から与えられた力と恵みに全幅の信頼を置くなら、どんな強大な敵にも立ち向かえると励まされます。
【戒めの言葉】
神の御命令に従うにあたり、決して妥協や曖昧さを許してはなりません。部分的な従順は、かえって敵を許すことにつながり、私たちの歩みを阻む罠となります。
【勧めの言葉】
教会の兄弟姉妹として、私たちは自らの信仰生活において、徹底的に主に立ち返り、時には勇気をもって敵と向き合い、取り除くべきものを徹底的に排除する態度を持つべきです。
【悔い改めの促しの言葉】
もし私たちが世俗の妥協や怠惰に流れてしまっているなら、今こそ立ち返り、悔い改めの心を新たにして、神の御前に謙虚に立つことを促します。
【***詳細***】
今日、私たちが聞くのは「エステル9:1-19」の御言葉です。かつて、ユダヤ人の敵は彼らを滅ぼそうと狡猾な策略を巡らせ、王の命令によってユダヤ人が全土で打倒される危機が迫りました。しかし、神はその御手をもって事の流れを逆転されました。敵を害する意図を抱いていたものが、実際にはユダヤ人自身に対して敵対していた者たちを全力で打倒する結果となり、諸州の主官や王の役人までもが、神の力の前にひれ伏さざるを得なかったのです。エステルの勇気ある姿勢、王妃として王に助けを求めたその決断は、ただ単に自己の救いのために留まらず、民族全体の命運を変える重要な瞬間でありました。私たちはここで、障壁を打破し神が定められた救いを、敵に対して断固として立ち向かう決意から受け取るべきであるという教えを得ます。
この御言葉に現れる状況を振り返ると、ユダヤ人が集い武装して敵対勢力に立ち向かった様は、単なる歴史的事件にとどまらず、今日の私たちが信仰の戦いにおいても、神が与えてくださる権限と守りにより、立ち向かうべき敵の存在を象徴しているとも言えます。各人が家族や共同体を守るため、また純粋な信仰を保つために、断固たる姿勢で進む決意は、神が私たちに与えた聖なる使命そのものです。このとき、私たちは神の御名によって召された民として、「敵を徹底的に打倒せよ」という御命令を胸に刻み、現代における霊的戦いにおいても、迷いやためらいを捨てるべきであると教えられます。
また、「列王記13:14-19」に記されている、エリシャ預言者とイスラエルの王との出来事も、徹底した従順の大切さを今に伝えております。エリシャが王に、主の勝利をもたらす矢を掲げるよう命じ、その具体的な行為において徹底されるべき神の意向を示しました。もし、王がエリシャの示された回数通りに矢で地面を打たず、主の命令を完全に遂行しなかったならば、その結果は単なる戦術の失敗だけでなく、国全体に災いがもたらされたことでしょう。部分的な従順は、後に大きな悔いや災厄につながるとエリシャは厳しく戒めました。このことから、私たちは主の御命令を徹底的に実行することの重要性、決して曖昧な態度をとってはならないという戒めを学びます。
歴史の中で、エステルが王に対して恐れず訴え、大胆に敵対勢力に立ち向かったように、またエリシャが神の命令に忠実に対して容赦なく徹底行動を促したように、今日の私たちも神の民として、一切の妥協を許さず、霊的な戦いにおいては強固な姿勢を持たねばなりません。現代社会では、キリスト者に対する迫害や試練、また悪霊やサタンの勢力がまさに顔を出し、私たちの信仰を攻撃しようと試みる状況が見られます。これらの霊的な敵に対して、単なる受動的な姿勢ではなく、断固たる呪いの祈りと、神から賜る権限に基づいた積極的な行動をもって立ち向かうべきであるというメッセージを、私は強く心に刻みました。
ここで、私たちが思い出すべきは、エステル記におけるあの劇的な転換点です。かつて、敵がユダヤ人を侵略し滅ぼさんと企んだ法令が、結果としてユダヤ人に自らの敵を打ち倒すための法令に変わりました。王の命令において、彼らの敵対する者たちは一斉に滅ぼされ、彼ら自身が休みと祝宴の日を迎える結果となりました。神は常に、彼の民を守るための抜本的な変革をもたらされるのです。私たちも、もし心の中に神に敵対する思いや、妥協が存在するならば、むしろそれに立ち向かい、断固として排除する必要があります。そうすることで、私たちは神の完全な守りと祝福の下で、真の繁栄と平和を享受できるのです。
そして、エリシャが示されたエピソードは、私たちに「主の言葉に耳を傾け、忠実に従うこと」がどれほど重要であるかを改めて訴えかけています。王がわずかにしか従わなかったために、後になって多くの災いが起こったように、私たちもまた部分的な信仰や曖昧な従順では、結果として自らの霊的な安全と繁栄を損なってしまいます。聖書は私たちに、決して手を緩めず、主の敵、つまり私たちの心や家族、共同体に害を及ぼすあらゆる霊的な悪と戦い抜く決意を持つように求めています。
私たちは、エステルやエリシャ、サウル王や古のイスラエルの歴史から、神がどのようにして御民を救い、敵を徹底的に打倒されるかを知ることができます。これらの御言葉は、ただ歴史の記録としてではなく、今日の私たちの信仰生活に対する直接の教訓として、より明確に届けられています。もし、今私たちの心に何らかの障害や敵意、世俗への依存があるならば、それはすぐに取り除くべき対象です。神は、私たちが純粋な心で、まっすぐ神に従い、そして主の敵に断固として向かうようにと命じられています。
最後に、現代という時代においても、我々の周囲には信仰に逆らう勢力が渦巻いております。しかし、歴史の中で神が示された御業と、エステルやエリシャのような聖なる生き方が、今日の私たちへの強い励ましとなっています。私たちは、この御言葉にあるように、主の命令に従い、断固たる信仰と行動をもって、世の中の悪に立ち向かいます。そして、敵に対しては決して妥協せず、神から与えられた権限を信頼して、全力で取り除く努力を惜しまないよう誓いましょう。主がもし、私たちに具体的な行動を促されるならば、その御命令に即座に従い、内にある不信仰や妥協する心を断ち切るよう、真摯な悔い改めの姿勢を保つよう努めなければなりません。
このように、エステルの勇気とエリシャの厳しい戒めは、今日のクリスチャンにとっても普遍的な霊的戦いの模範であり、私たちの内に潜む霊的な障害を根絶するための確固たる指針となります。どんな時も主の導きに信頼し、逆境の中でさえも神の守りと戦いの力を信じ、歩み続けるその姿勢こそ、私たちが目指すべき真の信仰であると確信いたします。
【結論】
エステルとエリシャを通して示された御業は、私たちに神の守りと御命令に徹底的に従うことの大切さを改めて教えてくださいます。どんな困難や霊的な敵が現れようとも、主の力に信頼し、妥協せず徹底的に立ち向かう姿勢を持つならば、私たちは必ずや祝福と勝利の中に歩むことができるのです。アメン。