メッセージ - 天の大宴会を予表する「酬恩祭」(レビ記7:22-38)
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全て動物の脂肪は、食べてはならない。(レビ記7:23-25)なぜなら、脂肪は、主の御前に焼き尽くし、煙にして捧げるべき「神の食物」(レビ記21:6)だからである。
また、血を食べてはならない(レビ記7:26)、という命令は、ノアの時代から既に告げられている。
血はいのちそのもので(創世記9:4-6)、それを犯してはならないからだ。
現代、いのちを粗末に扱ったり、いのちの領域を犯しているが故に、多くの呪いを招いている。
『イスラエルの人々に言いなさい、酬恩祭の犠牲を主にささげる者は、その酬恩祭の犠牲のうちから、その供え物を主に携えてこなければならない。』(レビ記7:29)
この、酬恩祭(和解のいけにえ)の内、胸の部分は、アロンとその子たちのものとし(31節)、右のももの部分は、いけにえを主に捧げる務めをした祭司の受ける分となる。(33節)
そして、前回見た通り、それ以外の部分の肉は、いけにえを捧げたその人が、その日の内に、あるいは、翌日の内に食べるものである。
このように、和解のいけにえは、同じ一つの動物から、神と、祭司と、民が、分けあって食べるものである。
家族や親しい友人が、同じ一つの食卓から、同じ食物を食べるように、一つの食事を分けあって食べる事は、親密な、楽しい交わりであり、そしてそれは、やがて天の御国における大宴会の、前味わいである。
『万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。』(イザヤ25:6-9)
父なる神は、御子イエス・キリストを、和解のいけにえとしてほふり、共にこの食卓に与からせようと、私達を招いておられる事を、王子の結婚の披露宴を設けた王のたとえ(マタイ22:1-14)から知ることができる。
神は、破格とも言えるほどのそのような待遇によって、私達を招待しておられるのに、多くの人々は、それを軽んじ、ある者は畑に行き、別の者は商売に出て行き、ほかの者たちは、主のしもべたちをつかまえて、恥をかかせ、殺してしまう、というような事をしてしまうのだ。
そのような者達は、やがて滅ぼされてしまう。
『そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。』(マタイ22:8-10)
今や、この天の王国の大宴会には、良い人も、悪い人でも、あまねく招かれており、その招待に応じる人は、だれでも、宴会場に入る特権があるのだ。
しかし、礼服を身に着けていない者は、宴会場に入っても外の暗闇に追い出され、泣いて歯ぎしりする事となってしまう。
当時、王が披露宴に人を誘う時は、礼服も一緒に贈ったため、礼服を持っていないのは有り得ない。それ故、礼服なしに宴会に来たという事は、王がせっかく贈った服を敢えて拒否し、敢えて、自前の服を着て来た事になる。
礼服とはキリストご自身である。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:26,27)
キリストを拒否して、宴会に与ろうとしても、外の暗闇に追い出されてしまうのだ。
このように、酬恩祭は、天の御国の大宴会を予表する。
それは、罪赦された事、神と和解した事、刑罰から救われた事を、喜ぶ宴会であり、神と大祭司キリストと私達が親しく楽しく共に同じ食卓に与る宴会である。
私達は既に、宴会への招きを受け、キリストという礼服の支給を受けており、それを身に着けて宴会に行くかは、各人次第だ。
神の支給された贖いの衣であられる、イエスキリストを身に着け、神の宴会に参加し、大いに楽しみ、赦された喜びをかみしめつつ、キリストの裂かれた体を共に味わう皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!