メッセージ - 大祭司の任職式 - 聖別の油そそぎ(レビ記8:1-13)

大祭司の任職式 - 聖別の油そそぎ(レビ記8:1-13)

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執筆 : 
pastor 2013-5-1 22:07

礼拝説教メッセージ音声:大祭司の任職式 - 聖別の油そそぎ(レビ記8:1-13):右クリックで保存

レビ記8章は、大祭司の任職式を実際に行った事の記録である。
『「あなたはアロンとその子たち、およびその衣服、注ぎ油、罪祭の雄牛、雄羊二頭、種入れぬパン一かごを取り、また全会衆を会見の幕屋の入口に集めなさい」。
モーセは主が命じられたようにした。そして会衆は会見の幕屋の入口に集まった。そこでモーセは会衆にむかって言った、「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」。』(レビ記8:2-5)

この任職式には、イスラエルの全会衆が招集され、立ち会った。これは、神と人との前で公になされるべきものであり、そして、モーセが会衆に「これは主があなたがたにせよと命じられたことである」と宣言したように、これは誰か人間が勝手に考案したものではなく、主がせよと出エジプト記29章にて命じられていた事である。

祭司とは、誰も彼もが好き勝手になれるものではなく、また、努力して勉強すればなれるものでもない。それは、神から任命されるものである。(ヘブル5:1-5)

『モーセはアロンとその子たちを連れてきて、水で彼らを洗い清め、アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ、その頭に帽子をかぶらせ、その帽子の前に金の板、すなわち聖なる冠をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。』(レビ記8:6-9)

祭司にはまず特別な装束を着せられるが、その前に必要な事、それは、水の洗いである。清められないままでは、聖なる装束を身にまとうべきではない。
現代のキリストにあって祭司とされた私達も、洗い清められなくては、祭司の職務に入るべきではない。
私達は、何によって清められるか?
それは、御言葉の水の洗いでもって、である。

『夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。』(エペソ5:25-27)
私達は、御言葉に従順する事によって、清められる。たとい御言葉に記されている事が自分の望む事でなくても、それに服従する事によって、清められるのだ。
それでこそ、神から聖なる装束を着せられ、聖なる務めに相応しくなる事が出来る。

『モーセはまた注ぎ油を取り、幕屋とそのうちのすべての物に油を注いでこれを聖別し、かつ、それを七たび祭壇に注ぎ、祭壇とそのもろもろの器、洗盤とその台に油を注いでこれを聖別し、また注ぎ油をアロンの頭に注ぎ、彼に油を注いでこれを聖別した。モーセはまたアロンの子たちを連れてきて、服を彼らに着させ、帯を彼らにしめさせ、頭巾を頭に巻かせた。主がモーセに命じられたとおりである。』(レビ記8:10-13)

水で清められ、聖なる装束が着せられると、次は、聖別のための油が注がれる。
「聖」とは元々、「分離」とか「分かたれる」事を意味し、この、聖別の油が注がれる事によって、汚れた者から清い者へ、世俗から聖へと、分離するのである。

油は、聖書ではよく「聖霊」を意味する事で用いられる。
『あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。』(1ヨハネ2:26-27)

もし私達の内に、聖霊の油が留まっているなら、何が神に喜ばれ、何が喜ばれないのか、全て、キリストの基準に適する事を、聖霊によって教えられる。
そうして全ての事について知り、ますます聖化される事を心から求め、望むようになって行き、ますます世とは「分離」した者となっていく。

一体どうしたら、この聖霊の油が与えられるか。
それは、「キリストにとどまっている事」である。
『そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。』(同28-29節)

大祭司であり、油注がれた方であるキリストに留まっているなら、かしらなるキリストから、聖霊の油がどんどん滴ってくる。
そして、キリストの御体なる教会に繋がっているなら、しあわせで楽しい交わりの内で、キリストからの油にますます浸され、とこしえのいのちの祝福の内に、どんどん潤って行くのだ。
『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』(詩篇133篇)

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