メッセージ - 私たち異邦人と律法との関わり(レビ記11:1-12)
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11章以降は、聖なるものと俗なるものの区別、きよいものと汚れたものの区別が示されており、いかに自らを清く保って主の民として歩むかというガイドラインが示されている。
そして、この11章では、食物に関する規定が示されている。
『「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。』(レビ記11:2)
『水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。これらはあなたがたに忌むべきものであるから、あなたがたはその肉を食べてはならない。』(レビ記11:10-12)
ここを読むと、私達日本人が普通に食べているものの中で、多くのものは、律法上では汚れたもの、食べてはならぬもの、と分かる。
では、私達日本人を含む「全異邦人」は、これらの規定と、どのような関わりがあるのだろうか。
そもそも、律法が特別にイスラエルの民に授けられた意義は、イスラエル民族がまだ一人の人だった頃、すなわち、アブラハムの時代にさかのぼる。
アブラハムがまだ、子供の無い75歳の一老人だった時、はじめて神から召命を受け、その時、子孫が与えられる約束がアブラハムに与えられた。
そして、その子孫を通じて、全人類を祝福へと入る約束が、与えられた。(創世記12:1-3)
つまり、神はアブラハムを特別に選び、彼の子孫、すなわち、イスラエル民族に神の規定を与え、神の基準を示し、神の存在と、神の聖なるご性質、そして、人類の救いの道を、全人類に表明するよう、祭司の民族として特別に定められたのだ。
祭司は自らを清め、世俗と分離する必要があるように(レビ記10:9-11)、祭司たる民族・イスラエルも、神が「汚れている」とされるものは摂ってはならず、そうして神の定めた律法を尊守し、世俗の民と区別する事によって、「祭司の民族」として、全人類を神へと導く務めを為すのだ。
そしてそれは、イエス・キリストのあらわれによって成就し、キリストを信じた者は、いかに「汚れている」とされている民であっても聖霊が与えられ、新しく造り変えられ、きよい、と宣言されるのだ。(使徒10章)
そして、エルサレム使徒会議にて、異邦人には、イスラエルの先祖たちさえ負いきれなかったくびき、すなわち、律法の数々の規定を、負わせない事が決議された。(使徒15章)
律法のもろもろの規定は、私達異邦人には適用されないものではあるものの、律法は、聖なるものと俗なるものの神の基準を知る事が出来、そして、これを守り行う人は、確かに祝福を受ける。
実際、これらを注意深く守り行ったイスラエル民族は、他と比べて伝染病にかかりにくく、平均寿命も長く、学力も社会ステータスも高かった。
ただ、律法を守り行う事によっては、いのちを得る事は出来ない。
結局、律法はあくまでキリストへと導く養育係であり、キリストを信じた事によって、私達も信仰によるアブラハムの子孫とされ、キリストがあらわれた以上、もはや「養育係」の下にいる必要は無いのだ。(ガラテヤ3章)
今や私達にとって、大切なのは、愛によって働く信仰である。
『自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。
わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。』(ガラテヤ5:1-6)