メッセージ - 主が聖であられるように、聖となれ(レビ記11:39-47)
礼拝説教メッセージ音声:主が聖であられるように、聖となれ(レビ記11:39-47):右クリックで保存
『あなたがたの食べる獣が死んだ時、その死体に触れる者は夕まで汚れる。その死体を食べる者は、その衣服を洗わなければならない。夕まで汚れる。その死体を運ぶ者も、その衣服を洗わなければならない。夕まで汚れる。』(レビ記11:39)
食べること。それは、その対象と一体化となる行為であるが、食用の家畜などの「きよい」動物であっても、病死したり、獣に殺される等した場合、その死体を食べたり、触れたりする人は「汚れる」とされている。
それと同じように、主にあって「きよい」とされたキリスト者であっても、世の汚れに再び戻って「死んだ」ものとなるなら、その人は「汚れた」者となる。
他のキリスト者が、その人と接触し続け、その汚れた人の死んだ行いを取り込むなら、その人も同様に、汚れた者となるのである。
『すべて地にはう這うものは忌むべきものである。これを食べてはならない。すべて腹ばい行くもの、四つ足で歩くもの、あるいは多くの足をもつもの、すなわち、すべて地にはう這うものは、あなたがたはこれを食べてはならない。それらは忌むべきものだからである。あなたがたはすべて這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。』(レビ記11:41-42)
地面を這って動く生き物は、忌むべきもの(「汚れ」よりも強い表現)である事を、再度確認している。
地を這いつくばって行き巡る性質は、サタンの性質である。
『主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。』(創世記3:14-15)
サタンは最も呪われたものとして、腹ばいで這い、ちりを食べる事が定められた。
ちり。それは人間の構成要素である。
地を這いつくばっては、食いものとするべき「人」を探して行き巡り、人々を食いものにしたり、されたりしつつ、汚れを増し加えて行くのが、サタンの子孫の性質である。
そのような「這うもの」に接触しつづけ、その汚れた行いを取り込むなら、地面を這いつくばるような、呪われた生き方となり、やがては頭を砕かれてしまう運命である。
『わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない。』(レビ記11:44)
エジプト、それは呪われたハムの子孫の末裔の国、地を這いつくばって互いに食い合う性質で満ちていた。
その国で奴隷状態になっていたイスラエルを、聖なる主は救い出して下さり、聖なる民として、召し出して下さった。
同じように私たちも、かつては世にあって、罪の中に死んでいた者であり、暗闇の支配者の奴隷として歩んでいた。しかし、あわれみ豊かな神は私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださった。私たちが救われたのは、ただ恵みによるのである。(エペソ2:1-6)
それ故、キリストにあって聖とされた私達も、サタンの性質を「忌む」ものとし、自らを世の汚れから分離させ、主へと近づかねばならない。
主は、自らをきよめて近づこうとする者に、近づいてくださるのだ。
『神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。』(ヤコブ4:7-8)