メッセージ - 女性の出産の汚れときよめ(レビ記12:1-8)
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レビ記12章は、出産に関する規定である。
『「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。』(レビ記12:2-4)
男の子を出産すると、七日間その女性は汚れ、さらに三十三日、きよめのために家に留まり、その間、聖なる所に入ってはならない。
そして女の子を出産するなら、その汚れときよめの期間は、男の子の場合の2倍となる。
新しいいのちが誕生する「おめでた」なのに、一体なぜ「汚れ」からの「きよめ」が必要なのか。
創世のはじめ、神は全生物に対し、産んで、増えて、地に満ちていくよう、祝福の命令を下された。
アダムとエバに罪が無かった頃、出産は、命を増え広がらせる、尊くすばらしき事であったはずだが、女が蛇に欺かれ、全人類に罪を導入してしまった時、「良き事」であったはずの出産は、罪を生み出し、罪を地にはびこらせる「悪しき事」へと変容してしま、ノアの時代に至っては、悪が甚だはびこり、神を悲しませるまでになった。
「女の産みの苦しみを大いに増す」(創世記3:16)、これは、夫に対して、そして全人類に対して、罪を運ぶ通路として用いられてしまった事の、ペナルティとして、女に与えられたものだった。
女性は、いのちを産み、育てるという役割が与えられている故、「母性」という特別な愛情が与えられた。
それ故、ことさらに清めに立つ必要があるのだ。
神は、女性の全員に、別のいのちへ罪を運んでしまうような、エバのような用いられ方は、もはやして欲しくないと願っておられる。
そういうわけで、出産した女性は、七日プラス三十三日の、計四十日(女児の場合は八十日)という期間が定められ、その閉じこもっている期間、エバ由来の犯しやすい罪と弱さについて、汚れときよめについて、そして、母としてこれからいのちをしっかり繋いで行くべき事を、新しく生まれたいのちとじっくり向き合いながら、思いめぐらし、考えるべきなのだ。
「汚れ」と「きよめ」のおしえを、きちんと受け止める女性にとっては、この閉じこもっている期間は、いのちに向き合う良き学びの時であり、同時に、産後の肥立ちが良くなって、再び新しいいのちを生み出す土台を体に造る安息の期間なのだ。
四十日。それはノアの時代に大雨が降り続いたのと同じ期間である。
洪水の間、増え続けてしまった悪しきいのち達は洗い流され、ノア家族の他、神に呼び出された多くのいのち達は、方舟の中にじっとして、閉じこもっていた。
同じように、女性も40という間、じっと閉じこもり、悪しき呪われるべきいのちを洗い流し、神の御手によって守られた新しきいのちを後の世に送り出す、準備期間とするのだ。
「八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。」(レビ記12:3)
割礼は、古い肉を切り捨て、新しいいのちに生きる者へと造り替えられた事を覚える儀式である。
罪に生きてはならぬ事、人類に罪と死をもたらしたエバのように生きる事には、ことさら気をつけ、家族全体のいのちを育む事を培うのである。
いのちを産む事、子を育てる事、そして、性的な事には、ことさら「汚れ」が入りやすい。
それ故、それらの事には特に「きよめ」の意識を持たなくてはならない。
夫婦の営みや、出産の度にそれらを学んでいるユダヤ人女性は、いのちと性に関する概念がとてもしっかりしており、そのため、ユダヤ民族は諸々の歴史的な困難にもかかわらず、栄え、増え広がって行ったが、そうした学びの一切無い異教徒達は、それだけ罪と汚れに陥りやすく、滅びを身に招きやすいのだ。
レビ記12章は、人間的な視点で考えるなら、あまりいい気はしないかもしれない。
しかし、主がそのように定めている以上、人間は、善し悪し判断する事を止めるべきであり、主がそのように定められた事に思いを巡らせ、背後にある重要な意味を汲み取ろうとするのが、御言葉に対する正しい対応である。