メッセージ - 腫物とやけどからのツァラアト(レビ記13:18-28)

腫物とやけどからのツァラアト(レビ記13:18-28)

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礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » レビ記
執筆 : 
pastor 2013-5-18 22:27

礼拝説教メッセージ音声:腫物とやけどからのツァラアト(レビ記13:18-28):右クリックで保存

『また身の皮に腫物があったが、直って、その腫物の場所に白い腫、または赤みをおびた白い光る所があれば、これを祭司に見せなければならない。』(レビ記13:18-19)

腫物は、傷を正しく対処しなかったり、体に溜まった老廃物を洗い流さなかったり、あるいは、不摂生を続けたりすると、出来やすいものである。
どんなにささいな傷であっても、そこに細菌が入ってしまうと、化膿して腫物となってしまい、それがさらに悪化して、ツァラアトとなっていく事もある。
同じように、私たちも、誰かから受けた心の傷、あるいは自ら湧き上がった悪しき思い、自らの不摂生の結果など、それを思い巡らし、心の中で汚れた膿を増幅させてしまうと、それを根城に、霊的な雑菌を繁殖させてしまう。
さらに悪化すると、人々に汚れを振りまく「霊的ツァラアト」にまで発展してしまい、文字通り「腫れ物を触るように」扱われ、隔離されてしまう。
ツァラアトの疑いがある場合、祭司は、さらに七日間隔離し、それが広がっていないかどうか確認し、七日前よりもさらに広がっているなら、その者を「汚れている」と宣言するが、同じように、私たちも、どんな些細な事であっても、良くない思いを思い巡らし、増幅させてしまうなら、汚れている、と宣言されてしまうのだ。

『しかし、その光る所がもしその所にとどまって広がらなければ、それは腫物の跡である。祭司はその人を清い者としなければならない。』(レビ記13:23)
それが広がっていないのであれば、それはただの腫物の跡であり、きよい、と宣言される。
腫物そのものは、誰にでも出来るものであり、それだけでは「汚れ」とはされない。
しかし、それを自らいじり回しているなら、汚染が広がり、「汚れた者」と判定され、人々から隔離されてしまうのだ。

『また身の皮にやけどがあって、そのやけどの生きた肉がもし赤みをおびた白、または、ただ白くて光る所となるならば、祭司はこれを見なければならない。そしてもし、その光る所にある毛が白く変って、そこが皮よりも深く見えるならば、これはやけどに生じたらい病である。祭司はその人を汚れた者としなければならない。これはらい病の患部だからである。』(レビ記13:24-25)

やけどは、火や熱などによって皮膚が損傷するものであるが、それが悪化してツァラアトとなっていくケースもある。
私たちの心も、火傷を負ってしまう事があるが、その原因は何か。
聖書の他の箇所で「火」というと、ねたみや、怒りを火として表現する他、唇から出てくる悪しき言葉も、火として表現される。
『舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。』(ヤコブ3:5-6)

あるいは、御言葉の光に頼らず、自家製の「ともしび」を灯して行こうとする者は、自らその身を焦がし、苦しみの内に倒れてしまう。(イザヤ50:10-11)
そのように、自身の身勝手により、火傷を負う事もある。

やけどを負ってしまうと、壊れた組織から細菌が入り、ツァラアト化する可能性が高くなる。
同じように、誰かからの怒りやねたみ、口撃によって火傷を負ってしまった場合、あるいは、主への不従順、不信頼によって自ら火傷を負ってしまった場合、それを速やかに取り扱わないなら、そこから霊的な細菌が入り込み、霊的ツァラアトに発展してしまう場合もある。

では、受けてしまったそれらの傷は、どのように取り扱う必要があるか。
「良きサマリヤ人のたとえ」の中にヒントがある。(ルカ10:30-37)

このたとえには、ある人が旅路で強盗に襲われ、ひどく傷を負わされ、持ち物を奪い去られてしまった人が出てくる。
律法を遂行する祭司やレビ人は、傷を負ったその人を見て見ぬふりをして通り過ぎてしまうが、人間の祭司には限界があり、本質的に、人を救う事は出来ない。
私たちも、世の旅路で、様々な種類の強盗に遭い、身体的・心的・経済的に傷を負わされる事がある。
どんなに有名な先生でも、真にその人を知っているわけではないし、やはり人間であるため、その人自身からの汚れを受けてしまうと、正しく対処できないからだ。

『ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。』(ルカ10:33-35)
このサマリヤ人は、イエス様ご自身である。

イエス様は、世の旅路で強盗に襲われて、傷を負ったような私たちを、気の毒に思い、近寄ってきて、その傷に聖霊の油を塗って下さった。
イエス様の血であるぶどう酒を注いで消毒して下さり、御翼の陰に覆って下さった。
イエス様の乗り物であるロバから降りて、そこに私たちを乗せて下さり、教会に連れて行って下さり、介抱して下さった。
イエス様は、教会に傷を負った人を託される時、その人を介抱するのに必要な銀貨をも置いて行って下さり、足りないならば、さらに必要分を支払って下さる。

私たちが、傷を負った時、人間のだれかの所に行くよりも、直接イエス様の所に行ったほうが良い。
特に、霊的汚れを負ったなら、なおさら、人の所に行ってはならない。人々に自らの汚れを伝染させ、さらなる拒絶に遭うだけだから。
私たちは、霊的な傷を負った時、霊的ツァラアトにかかった時、イエス様の所に、まず行くべきである。
まことの隣人となって下さったイエス様こそ、癒し主であり、私たちのツァラアトを癒し、汚れを除き、全ての霊的不具合を癒して下さるからである。

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