メッセージ - 枯れた骨も息を吹き返す(使徒2:1-4、エゼキエル37章)
枯れた骨も息を吹き返す(使徒2:1-4、エゼキエル37章)
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本日ペンテコステは、イエス・キリストの弟子達が、聖霊に満たされ、力を受けた事を記念する日である。
聖霊の「霊」は、ギリシア語でプネウマ、ヘブライ語でルアッハ、いずれも「(神の)息」、「風」、「霊」を意味し、主のしもべにも、はしためにも、それが与えられる事は、旧約の預言者たちによって預言されており(ヨエル2章)、それはまさに主の弟子達に与えられる事は、イエス様も言われていた事だった。(使徒1章)
このペンテコステの日、激しい風が天から吹いて来るようなとどろきが、弟子達のいた家全体に響き渡り、炎のような分かれた舌が現れ一人一人の上に留まり、みな、聖霊に満たされ、異なる舌で話し出した。
「聖霊があなたがたに降る時、あなたがたは”力”を受け、、、地の果てまでわたしの証人となる」(使徒1:8)
力(デュナミス)。それはダイナマイトの語源で、ダイナマイトのような莫大なパワーを持つものであり、その力が与えられる目的は、イエス様の証人となるためである。
聖霊の「力」は、どれ程のものであるのか。エゼキエル書37章に、その顕著な様子を見る事ができる。
『主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。』(エゼキエル37:1) エゼキエルが連れて行かれた場所は、ひどく干からびた骨に満ちた谷、かつて戦により切り殺された者達が、骨の残骸となって、あちこちに散らばっている所だった。
これらの骨は、バビロン捕囚で移されたイスラエルの全家をあらわしているが、それは次のような人達にも当てはめる事ができる。
すなわち、自らの不従順の罪によって徹底的に打たれ、もはや復興の望みは絶たれてしまったような人。
昔、若かりし頃の戦いに破れ、夢破られ、復帰する望みもない骨として年月を重ね、ただ枯れるに任せるしかなかった状態。あるいは、自らの罪と神への不従順のために、暗く死に満ちた谷底に落とされ、果てしなく長い間、身動きもできぬまま、枯れ果てて行く自分を、ただじっと眺めていたような。そんな人達に。
『「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです。」』(3節) 枯れ果てた骨が、生き返る。それは、人には考えつきもしない事だが、主には何でも出来る。
主はエゼキエルに、それらの骨に預言せよ、と言われる。わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす、と。(5-6節)
彼がその通り預言すると、ペンテコステの日のような、大きなとどろきと共に、骨と骨が互いにつながり、筋がつき、肉が生じ、皮膚が覆った。しかし、その中に「息」は無かった。(7-8節)
確かに主は、死んだような状態から、生き返らせて下さる。主の憐れみによって、かつては骨のような状態から、人並みの状態にまで戻されたキリスト者は大勢いるし、そのように求めている人は多い。
しかし、「神の息」が無い状態では、マネキンのように、「行い」の無い、死んだも同然の状態である。
『時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。』(9節)
その通り、彼が「息」に預言すると、息が彼らの中に入り、自分の足で立ち上がった。それは、非常に多くの集団(カッイル:軍団、部隊)となった。
ペテロやイエス様の弟子達は、以前は、大した実を結ぶ事のできない烏合の集団で、イエス様が十字架につけられた時、ちりぢりになり、死んだ骨のような状態だったが、イエス様の息で息吹かれ、ペンテコステで聖霊に満たされて以降、力強く、大胆な伝道者となり、死をも恐れない神の軍団となって全世界に出て行き、ローマを席巻し、ヨーロッパやアメリカ、アジアにまで、神の言葉が伝わっている。
自分は干からびた骨のようだ、と言っている人は、自分自身に、御言葉を宣言すべきである。生き返れ、と。
人並みに回復しても、御前に良しとされる行いの無い、死んだも同然のような人も、「息」に預言すべきである。「息よ、四方から吹いて来い、この者に吹きつけて、生き返らせよ」と。
神の息吹のダイナマイトパワーに満たされて、干からびた骨から、神の軍団へと造り替えられ、大胆にキリストを証して行く皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!