メッセージ - 身に着けるものに現れるツァラアト(レビ記13:47-59)
礼拝説教メッセージ音声:身に着けるものに現れるツァラアト(レビ記13:47-59):右クリックで保存
『また衣服にらい病の患部が生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、あるいは亜麻または羊毛の縦糸であれ、横糸であれ、あるいは皮であれ、皮で作ったどのような物であれ、もしその衣服あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮で作ったどのような物であれ、その患部が青みをおびているか、あるいは赤みをおびているならば、これはらい病の患部である。これを祭司に見せなければならない。』(レビ記13:47-49)
今回は、衣服や織物、編物、革製品など、人がまとったり、敷いたりするものにツァラアトが現れた場合の指示である。
これらのものに現れたツァラアトの判定と、それに対する対処は、人体に現れた場合よりも厳しい。
ツァラアトの疑いがある場合は、七日間隔離し、患部が広がっていたなら、悪性のらい病(fretting leprosy)として汚れたものと宣言し、焼き捨てるが、広がっていなかったなら洗わせ、さらに七日間隔離して様子を見る。
七日前に比べ、変わっていないようであったら「汚れたもの」と宣言し、焼き捨てるが、それが以前よりも症状が薄れていたなら、その部分をちぎり取ってから、元の用に用いる事ができる。
しかし、もしそれが再発するなら、火に投げ込んで焼き捨てる。
焼き捨てる事から免れるケースは、洗った後に患部が消える場合で、その場合は洗った後にきよいと宣言され、再び元の用に用いる事ができる。
衣類や革製品など、着たり脱いだりするものは、聖書の他の箇所では「救い」や「行い」を意味する。(イザヤ59:3-6, 黙示録19:6-8, コロサイ3:8-11)
人は、キリストにあって救われたなら、古いものは脱ぎ捨て、新しい人を「着た」ものとされる。
『なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。』(1コリント15:53-55)
結局、生まれつきの人間は、修復不能の古びた服のようで、直しても直しても次から次へとツァラアトのような「汚れ」が湧いて出て来るようなものであり、「救い」とは、そのような汚れの泉のような古いいのち(肉)を全く脱ぎ、焼き捨て、新しいいのちが着せられるものある。
古い衣、すなわち生まれつきのこの体は、着れば着る程、古びていくが、キリストにある「新しい人」はその逆で、着れば着る程、日々、新しくされていくものである。
『しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って(日々)新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。』(コロサイ3:8-11)
そして、キリストにあって新しくされた人は、人生において正しい行いを紡いで行き、その事によって、天にて着せられる花嫁衣裳を織り成して行くのである。
『「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。』(黙示録19:6-9)
しかし、ひと度救われて後、救われる以前の悪い行い(たとえば、飲酒や汚れた遊興など)に再び染まってしまうなら、衣服に現れたツァラアトのように、せっかく清くされた衣装を汚すものであり、それは時間を経るごとに広がって行き、放っておくなら、全体が火に投げ込まれてしまう「汚れたもの」になってしまいかねない。
以前の悪い行いに少しでも戻りそうなら、速やかに、その部分を御言葉の水で洗い流し、その部分を切り取って火に投げ込むくらいの覚悟で望んだほうが良いのである。
『兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。』(ヘブル3:12-14)