メッセージ - ツァラアトからの立ち直り:全てが新たにされる(レビ記14:1-9)
礼拝説教メッセージ音声:ツァラアトからの立ち直り:全てが新たにされる(レビ記14:1-9):右クリックで保存
レビ記14章は、ツァラアトが癒されて、汚れた状態から清められた状態へと変えられる際の教えが記されている。
ツァラアトが癒えたら、そのまま人の交わりに復帰できるわけではなく、必ず祭司に見せ、「きよい」と宣言され、所定の手続きを経る必要がある。
ある人のツァラアトが癒えた場合、聖なる所で奉仕をしている祭司は、宿営の外の、人々から隔離されているその人の所へと出向き、きよめの儀式を行いに行く。
まことの大祭司イエス様も、聖なる御住まいであられる天から降りてこられ、罪で汚れた私達をきよめるために、私達に近づいて下さった。
『祭司は宿営の外に出て行って、その人を見、もしらい病の患部がいえているならば、祭司は命じてその清められる者のために、生きている清い小鳥二羽と、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプとを取ってこさせ、
祭司はまた命じて、その小鳥の一羽を、流れ水を盛った土の器の上で殺させ、そして生きている小鳥を、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプと共に取って、これをかの流れ水を盛った土の器の上で殺した小鳥の血に、その生きている小鳥と共に浸し、これをらい病から清められる者に七たび注いで、その人を清い者とし、その生きている小鳥は野に放たなければならない。』(レビ記14:3-7)
この儀式では、生き物としては、小鳥二匹が用いられる。
その内の一羽は、湧き水を入れた土の器の上で殺され、血は、その器の中に滴り落ちる。
私達は土の器であり、イエス・キリストは私達を清めるために、十字架という木の上で、血潮を流された。
『わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。』(2コリント4:7)
故に、この器の上でほふられる小鳥は、イエス・キリストの犠牲を、香柏の木は十字架を暗示する。
そして、緋色(血の色)の糸は、犠牲のために流される血潮を、そして、滅びを免れ守られるを意味する。
遊女ラハブは、イスラエルの斥候から教えられた通り、緋色のひもを窓の所に結びつけ、その家を滅びから免れさせた。(ヨシュア記2章)
また、出エジプトの民は皆、主に命じられた通りに、扉の鴨居と門柱に血潮のしるしを付け、滅ぼす者が過ぎ越すしるしとした。
ヒソプは、血潮によるきよめを意味する。
ヒソプは過越祭の時、鴨居と門柱に血潮のしるしを付けるのに用いられたし、また、ダビデも罪を犯した時、次の詩篇を詠んだ。
『ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。』(詩篇51:7-9)
その血潮に浸され、生き残って、野に放たれる小鳥は、水と血潮の中をくぐって滅びを免れ、生かされ、自由にされた私達を意味し、また、十字架の死を通して復活し、天に昇られた、イエス・キリストをも暗示する。
『清められる者はその衣服を洗い、毛をことごとくそり落し、水に身をすすいで清くなり、その後、宿営にはいることができる。ただし七日の間はその天幕の外にいなければならない。そして七日目に毛をことごとくそらなければならい。頭の毛も、ひげも、まゆも、ことごとくそらなければならない。彼はその衣服を洗い、水に身をすすいで清くなるであろう。』(レビ記14:8)
髪も、ひげも、眉毛も剃った人は、実に特徴的である。
その人は誰の目にも明らかに、古いものは過ぎ去って、全てが新しくなった。
ツァラアトから清くされる事は、実に、イエス・キリストの十字架上での犠牲、血潮によるきよめ、滅びからの免れ、復活、古いものが過ぎ去り全てが新しくされる事を、暗示しているのだ。