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メッセージ - 家に現れたツァラアト - 教会の汚れの対処(レビ記14:33-57)

家に現れたツァラアト - 教会の汚れの対処(レビ記14:33-57)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » レビ記
執筆 : 
pastor 2013-5-25 17:32

礼拝説教メッセージ音声:家に現れたツァラアト - 教会の汚れの対処(レビ記14:33-57):右クリックで保存

今回は、家にツァラアトが発生した場合の教えである。
『「あなたがたに所有として与えるカナンの地に、あなたがたがはいる時、その所有の地において、家にわたしがらい病の患部を生じさせることがあれば、その家の持ち主はきて、祭司に告げ、『患部のようなものが、わたしの家にあります』と言わなければならない。』(レビ記14:34-35)
ここに「家にわたしがらい病の患部を生じさせることがあれば」とあるが、つまり、神が、その家に汚れがある事を示し、対処が必要である事を、明示されるのである。

家に現れたツァラアトへの対処は、他の場合と比べて、寛大である。
他の場合なら、症状が現れて、七日間の様子見の後、患部が広がっていたなら、「汚れている」宣言され、衣類や革製品なら、その時点で焼き捨てられる事が確定する。
しかし家の場合はそうではなく、その部分の石を取り除き、他の石でそこを埋め、家の内側を削らせて、漆喰を塗り直させる。
家全体が取り壊しになるのは、上記の事をしても、なお、再びツァラアト現れた場合である。
では、この「家」は、霊的には何を意味するだろうか。

『神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。』(1テモテ3:15)
『もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。』(ヘブル3:6)
上記の御言葉の通り、神の家とは教会であり、そして教会(エクレシア)とは「召しだされた者達」、つまり、キリストにあって召しだされた”私達”である。
私達は、キリストのからだであり、おのおのが各器官であるとコリント書に記されている通り、教会が神の家であり、私達は、その構成要素である。

つまり、家に現れるツァラアトは、霊的に、教会に罪をはびこらせる「人」として解釈する事が出来る。
そのような人への対処について、イエス様は次のように言っている。
『もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。』(マタイ18:15-17)

「人」に対する対処は、ツァラアトを取り除くような機械的なものではなく、まずその人を諭し、それでも聞かなければさらに二人、三人と証人を増やして行き、教会の言う事も聞かなければ、その人を異邦人や取税人同様に扱う、すなわち、神の共同体からは切り離されたものと見なす。
それが、主が定めた教会における対処方法であるが、それをしなかったケースが、第一コリントの手紙に記されている。

『現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。』(1コリント5:1-5)

教会とは、何でもかんでも愛して赦して受け入れて・・・という集団ではない。
主が忌み嫌われる事を、平然とし続けているような者を同居させたまま、自分も健全に保っていける、と思っているとしたら、それはパウロが言っているように「高ぶっている」のだ。
そのように罪をはびこらせて平然としている者は、あえてサタンに引き渡し、その人が終わりの日に救われる事に賭ける勇気も、必要である。

もちろん、信徒をサタンに引き渡したい牧会者など、一人もいないし、パウロも怒りに任せて「サタンに引き渡す」などと言ったのではない。
パウロは愛の故に「主の日に彼の霊が救われるため」そうしたのであり、大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらにあの手紙を書いた、と、後に記している。(2コリント2:4)
パウロは、得るか失うかの賭けに出た結果、後に「得た」ようである。(2コリント2:5-11 http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=745&cid=16

いずれにせよ、教会に罪を持ち込み、はびこらせ、注意しても聞かないようであるなら、たとい痛みを覚えようとも、交わりから断つ、というのは、旧約にも新約にも記されている聖書のスタンダードである。
その事をしない教会は、どんどん汚れが進行し、ついには、ツァラアトが再発する家のように、ばらばらにされてしまう。
何でもかんでも愛して赦して受け入れて・・・という雰囲気が、キリスト教界ではびこっている昨今、この事はよく肝に銘じるべきである。

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