メッセージ - 聖霊のご性質(ヨハネ14:16-20)
聖霊のご性質(ヨハネ14:16-20)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
聖霊はどのような霊であり、どのような特徴があるのか。聖書の色々な箇所から見て行きたい。
聖霊の「霊」は、神の「息」や「風」をあらわす「プネウマ」であり、「聖霊」「御霊」いずれも同じ神の息である。
聖霊は、イエスキリストをあかしする霊である。「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」(ヨハネ15:26) 「人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。」(1ヨハネ4:2-3)
誰でも聖霊によるのでなければ、イエスは主であると告白できない。(1コリント12:3)
イエスを主とする人は、既に、聖霊を受けている人である。しかし、聖霊が充満したとは限らない。
聖霊の「満たし」には二段階ある。最初の段階は、イエスを主とした人が誰でも受ける「満たし」(プレレース、あるいはプレロー)であり、それは公ではなく密かに、しかし、本質的に聖霊が備わった事を意味する。
次に、ペンテコステのような外面的で力を伴った「充満」(プレソー)という段階があり、イエスを力強く証したり(使徒4:8)、真理の対決をしたり(使徒13:9)、しるしと不思議など(4:31)、力強く機能的な現れである。
御霊には色々な種類がある、などと勘違いされやすいが、現れ方や働き方が違うだけで、御霊は一つであり、皆、同じ御霊を飲む者とされた(エペソ4:4)。その同じ一つの御霊から、一人ひとりに違った”現れ”がある。(1コリント12章) 「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。」(1コリント12:4-7)
また、聖霊は、自分から語るのではなく、父なる神から聞くままを話す(ヨハネ16:13)。この、自分から語るのではなく、聞くままを話す、という特徴は、キリストも同じであり(ヨハネ12:49、14:10)、聖霊に導かれるキリスト者も、同じ性質である。弟子達は、ペンテコステ以前は自分から語って色々な失敗をしたが、ペンテコステ以降は、自分由来の事は一切語らず、ただ、聖霊に導かれるままを話した。(使徒4:1-21)
また、聖霊の働き方や現れは、旧約と新約では、違う。
旧約時代は、神様がある人をある特別な任務に就かせるために、聖霊をその人に注ぎ、王や祭司、士師、預言者などの、特別な役割を与えら、その人の不従順や罪の故に、聖霊がその人から離れる、という事もあった。(1サムエル16:14、詩篇51:11)
しかし今、新約において、聖霊が与えられるなら、それが離れてしまう、という事は、無い。(ヨハネ14:16)
ただ、その人が聖霊を悲しませたり(エペソ4:30)、聖霊を侮ったり、という事は可能である。
ひとたび聖霊が与えられて、なお、聖霊を侮る者には、重い罰が下る。(ヘブル10:26-31)
聖霊は、人の本質的な渇きを癒し、その人の内から、霊的な潤いが、生ける泉として沸き上がってくる。
『「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかった(直訳:御霊はまだ無かった)のである。』(ヨハネ7:37-39)
イエス様がこれを宣言された時点、イエス様はまだ父の御元に上っておらず(ヨハネ14:16-28)、イエスを証する御霊、イエスの言われた事をことごとく思い起こさせ、世ならぬ平安で満たし、決して離れる事の無い助け主は、まだ、弟子達に下っていなかったのだ。
しかし、十字架以降、イエスを信じる人々には全て聖霊が与えられ、それが離れる事は、決して無い。
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。・・・それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。」(ヨハネ14:16-28)