メッセージ - 女性の過多月経(長血)についての教え(レビ記15:25-33)
礼拝説教メッセージ音声:女性の過多月経(長血)についての教え(レビ記15:25-33):右クリックで保存
『女にもし、その不浄の時のほかに、多くの日にわたって血の流出があるか、あるいはその不浄の時を越して流出があれば、その汚れの流出の日の間は、すべてその不浄の時と同じように、その女は汚れた者である。その流出の日の間に、その女の寝た床は、すべてその女の不浄の時の床と同じようになる。すべてその女のすわった物は、不浄の汚れのように汚れるであろう。』(レビ記15:25-26)
ここは、いわゆる不正出血、過多月経(長血)などの場合についての教えである。
月経は、女性の体が子供を産む準備をしているために起こるものであり、子供を産むためには、当然、精子(ギリシア語ではスペルマ:種、子孫の意味もある)が必要である。
女性は精子(スペルマ)が無ければ、どうあがいても子供を身篭れないように、私達も、キリストというまことのスペルマが無ければ、永遠のいのちは生じない。
『約束は、アブラハムと彼の子孫(スペルマ)とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫(スペルマ)たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫(スペルマ)とに」と言っている。これは、キリストのことである。』(ガラテヤ3:16)
また、みことばの種(スペルマ)が、私達という土地に蒔かれなければ、いのちの実を結ぶ事は出来ない。
肉の命は血の中にある(レビ記17:11)、とある通り、女性が、血を排出すべきでない時に排出し続ける事は、霊的には、いのちを無駄に流し続けているようなもので、御言葉の「種」を受けず、まことのスペルマなるキリストを受け入れもしない状態では、いたずらにいのちを流し出すのみである。
女性が受精した時、血のいのちは、胎内に宿った新しいいのちに流れ込むようになって、決して無駄にはならないように、人が、キリストというまことのスペルマを受けた時、いのちを無駄に垂れ流すという事は無くなり、キリストのいのちが、その人の内ですくすくと育って行く事となるのだ。
世界という器は、キリストというまことのスペルマが来なければ、この世界に、いのちは無い。
しかしある時、人間のスペルマ無しに、一方的な神の力添えによって身ごもった女性がいた。それが、乙女マリヤである。
彼女は、人のスペルマによってではなく、いと高き方から力が流れてきて、聖霊によって身ごもったのだ。
私達の救いも、人でによるのではなく上から与えられ、聖霊によって「イエスは主です」と告白する事によって、救われるのである。
『その女の流出がやんで、清くなるならば、自分のために、なお七日を数えなければならない。そして後、清くなるであろう。その女は八日目に山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を自分のために取り、それを会見の幕屋の入口におる祭司のもとに携えて行かなければならない。』(レビ記15:28-29)
鳩は聖霊を意味する。
いのちを不正に流し出す汚れからきよめられた時、聖霊によって歩む決心をするのである。
新約聖書にも、長血を患う女が登場する。
彼女は12年もそのジレンマにあり、律法上は汚れたものとして苦しんで来たが、多くの医者にかかっても何の助けにもならず、その持ち物をみな費してしまっても、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。(マルコ5:26)
人間の医学も、お金も、罪に対し、汚れに対し、何の力も持たない。それらに頼っても、逆にますます悪くなる一方で、ただ、いのちと、お金と、時間、若さを費やすのみである。
彼女が唯一救われたのは、まことのスペルマなるイエス様を信じ、信仰をもって触ったからである。
罪と汚れからの救いは、ただイエスキリストのみである。
キリストを信じる信仰を持って、彼に手を延ばすなら、誰でも救われる。
『イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。』(5:34)
イエス様に信仰をもって手を伸ばし、罪と汚れから、病から癒していただき、健やかに、安心して行く皆さんでありますように!