メッセージ - 聖なる民としての人間関係(レビ記19:11-18)
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今回の箇所は、特に、兄弟姉妹や隣人との「関係」において、いかに「聖」を保って行くべきかが示されている。
『あなたがたは盗んではならない。欺いてはならない。互に偽ってはならない。わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。』(レビ記19:11-12)
ここでも十戒がいくつか引用されている。
第八戒の「盗んではならない」、第九戒の「偽ってはならない」、また、第三戒の「主の御名をみだりに唱えてはならない」、これらは、人と人との関係において重要な戒めであり、神の民の人間関係は、いつも真実であるべき事が命じられている。
そして、続く節では、弱い人に対する配慮が命じられている。
『あなたの隣人をしえたげてはならない。また、かすめてはならない。日雇人の賃銀を明くる朝まで、あなたのもとにとどめておいてはならない。』(レビ記19:13)
若かったり、没落したりして、土地や定職が持てていない日雇い人などから搾取する事は、聖なる民がする事ではない。
彼らの叫びは主が聞いておられ、そのように搾取するような者は、やがて万軍の主にほふられてしまう。
『見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。 あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、「ほふらるる日」のために、おのが心を肥やしている。 』(ヤコブ5:4-5)
そういう意味で、現代社会は本当に呪いを招く事をたくさんしているわけである。
『耳しいを、のろってはならない。目しいの前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。』(レビ記19:14-15)
耳が聞こえない人が聞こえないのを良い事に、のろいの言葉を発したり、目が不自由な人が見えないのを良い事に、つまづかせる物を置いたりする。
そのように、知識や能力が無いのを利用して、その人を陥れたり、搾取したりする事は、聖なる民がする事ではない。
彼らが主に叫ぶ時、主が訴えを聞き入れ、そのような者の命は、そこなわれてしまう。
『貧しい者を、貧しいゆえに、かすめてはならない、悩む者を、町の門でおさえつけてはならない。それは主が彼らの訴えをただし、かつ彼らをそこなう者の命を、そこなわれるからである。 』(箴言22:22-23)
『さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。』(レビ記19:15)
強い人や多数意見に自分も流されたり、その逆の、弱者に同情したりして、黒を白としたり、白を黒としたりしてはならない。主は、公正にジャッジする事を求めておられる。
『民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。』(レビ記19:16)
誹謗中傷する事、これは、悪魔の性質である。(悪魔:「ディアボロス」のギリシア語の意味は、告発者、中傷者)
そのような者は、天から投げ落とされてしまう運命にある。(黙示録12:10)
『あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。』(レビ記19:17)
表面上は穏やかに繕ろっていても、心中はおだやかではない。それは、偽りの生活である。
もし兄弟姉妹に人をつまづかせるような性質があるのなら、面と向かって言うべきである。
『あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。愛する者が傷つけるのは、まことからであり、あだの口づけするのは偽りからである。 』(箴言27:5-6)
『あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。』(レビ記19:18)
隣人関係において、最も大切な戒めは、この「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」である。
イエス様も、最も大切ないましめの内の一つである事を言われた(マタイ22:39、マルコ12:31-34)し、パウロも、律法全体はこれに尽きると言っている。
『互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。 』(ローマ13:8-9)