メッセージ - イスカリオテのユダ(マルコ14:10,11)국어예배 礼拝説教メッセージ音声
イスカリオテのユダ(マルコ14:10,11)국어예배 礼拝説教メッセージ音声
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2010-12-20 6:18
礼拝説教メッセージ音声:イスカリオテのユダ(マルコ14:10,11)국어예배 (右クリックで保存)
イスカリオテのユダはイエス様を裏切った。
お金が欲しかったというよりイエス様が自分の思い通りに動かなかったから見限った、と思われる。
ベタニヤのマリヤがイエス様にナルド油を注いだ時、ユダは真っ先に口出しし、その香油を300デナリで売って貧しい人に施さなかった事を咎めた。
彼は一行の金入れを管理する役割を任されており、香油が300デナリであった事を一瞬で見積もり、「なぜ貧しい人に施さなかった」と、いかにも正当に見える咎めの理由をサッと考えついた事を見るに、相当頭の回転が速く、デキる人であった事が分かる。
しかし頭の回転が速くデキる人は、うまく立ち回って自分の望むままにやりくりできる事が、仇となって、イエス様の助けを必要としなかったり、救いの邪魔になったりしやすい。
マタイの平行箇所を見ると、ユダはイエスを「引き渡せば、幾らくれますか」と自分から申し出ているため、ある程度お金に対する弱さがあったであろう。
イエス様は銀貨30枚で見積もられた。
その値段がユダヤの指導者がメシヤに対して見積もった値段であり、ユダが売ることに同意した値段である。
私達も日々、ユダのように、欲望や一時の感情という「これこれの値段」と引き換えにイエス様を見積もって売ってしまったり、裏切ったりする事がある。
イエス様は立ち返ればいつでも赦して下さる。
ユダは最後の最後までイエス様に「友よ」と声をかけられ悔い改めのチャンスがあったにもかかわらず、自分の頑ななプライドや絶望からのあきらめによって自ら命を絶ってしまった。
私達人間は弱いため、100%主を裏切らないでいれるものではない。
しかし私達には、いつでも主から悔い改めの機会が与えられ、いつでも手が差し伸べられている。
例え誘惑に負けたり、実際に裏切ってしまって、ユダのようにあきらめる事無く、一時でも早く悔い改める者でありたい。
皆さんは生ける限り、イエス様に繫がった生き方ができますように。