メッセージ - 主の例祭 - 七週の祭り(レビ記23:15-22)
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続いて「七週の祭り(シャブオット)」についての教えである。
初穂の祭りは、大麦の収穫の時期であるのに対し、七週の祭りは、小麦の収穫の時期である。
イスラエル地方で、穀物の収穫は、初穂の祭りの時期に始まり、七週の祭りの時期に終わる。
『また安息日の翌日、すなわち、揺祭の束をささげた日から満七週を数えなければならない。すなわち、第七の安息日の翌日までに、五十日を数えて、新穀の素祭を主にささげなければならない。』(レビ記23:15-16)
この祭りは、初穂の祭りからちょうど五十日目に行う。
この日は、新約におけるペンテコステである。ちなみに「ペンテコステ」という言葉は、ギリシア語で「五十」を意味するペンテコストスの女性形である。
この、七週の祭りの日、イエスの弟子達が、主から約束されていた聖霊を待ち望みつつ、一つ所に集まっていた時、そこに聖霊の風が吹きすさび、弟子達は聖霊に満たされた。
ちょうど七週の祭りを祝うために各地から大勢の人達がエルサレムに集まっていたが、その多くの人達がその聖霊のわざを見、ペテロの御言葉による説教に悔い改め、三千人ほどが、初穂として救いに入れられた。
イスラエル地方で、穀物の収穫は、初穂の祭りの時期に始まったように、いのちの刈り入れはキリストの復活に始まり、収穫は七週の祭りの時期に終わったように、いのちの成熟は、七週の祭りの時期に完成するのである。
『またあなたがたのすまいから、十分の二エパの麦粉に種を入れて焼いたパン二個を携えてきて揺祭としなければならない。これは初穂として主にささげるものである。』(レビ記23:17)
七週の祭りでは、パン種を入れたパン二個が捧げられる。
捧げ物の中に、パン種がはいるのはめずらしい。なぜなら、パン種入りのパンは、聖書では不純物の混じったものとして、あまり良い意味では使われないからだ。
この、二つの種入りのパンは、新約の教会の特徴をよくあらわしている。
キリストの十字架と復活の前までは、神の道はユダヤ人にしか示されていなかった。しかしキリストの復活以降、救いはユダヤ人だけでなく、異邦人にも及ぶようになり、イエス・キリストを信じる者は、全て救われるようになった。
『キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。』(エペソ2:14-16)
この箇所の「二つのもの」とは、ユダヤ人と、私達異邦人である。
しかし、この集まりの中には、パン種のような不純な者も混ざっている。
主はどういうわけか、あえて、麦の中から毒麦を除いたり、羊の中から山羊を除いたりする事はせず、そのまま共に育てるがままにされた。
それらを選り分ける日時は、主が定めており、その時まで、主は、敢えて混在したままにしておかれるのだ。
『あなたがたはまたパンのほかに、一歳の全き小羊七頭と、若き雄牛一頭と、雄羊二頭をささげなければならない。すなわち、これらをその素祭および灌祭とともに主にささげて燔祭としなければならない。これは火祭であって、主に香ばしいかおりとなるであろう。』(レビ記23:17-18)
七週の祭りでは、パンの他にも、多くの種類のいけにえが捧げられる。
過越祭でも、初穂の祭りでも、傷の無い一歳の小羊が捧げられていたが、この七週の祭りでは、それが七頭になっている。
以前も説明したように、傷の無い一歳の小羊は、キリストをあらわしている。
キリストの苦難と復活の時は、キリストという人格(神格)は、地上でひとりだったが、キリストの昇天と聖霊降誕以降、キリストの似姿である聖徒達が、地上で増え広がりつつあるのだ。
『あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。』(レビ記23:22)
初穂の祭りも、七週の祭りも、共に収穫の祭りである。
貧しい人のために、畑の実りを残しておいてやるべき事を、主はここでも示された。なぜなら、全ての人が、いのちの収穫の恵みに与るべきだからであり、それを独り占めしてはならないからだ。