メッセージ - 主の例祭 - ラッパの祭りと大贖罪日(レビ記23:23-32)
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続いて、第七月に行われる祭りについての教えである。
この第七の月・チスリの月(太陽暦では9−10月)は、天地創造を起源とした「新年」である。
それに対し、第一の月・ニサンの月(太陽暦では3−4月)は、エジプト脱出を起源とした「月々の初め」である。(出エジプト記12:2)
『主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。どのような労働もしてはならない。しかし、主に火祭をささげなければならない』」。』(レビ記23:23-25)
ユダヤでは、第七月が「新年」すなわち、「万物が改まる」時期であるが、その新年の第一日、ユダヤの人々は一切の労働をやめ、あちらこちらでラッパ(角笛)の音を鳴り響かせた。
この世もやがて、万物が一新される日が来る。
その日、御使いのかしらの号令と共に、あちらこちらでラッパが鳴り響き、主ご自身、みずから天から下って来られ、その日、人々はもはや世の仕事をやめ、キリスト者は空中で主と出会うのである。(1テサロニケ4:16)
新年七月の一日からの十日間、イスラエル人は、去年一年間の反省をしつつ、大贖罪日に備えている。
『主はまたモーセに言われた、「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。』(レビ記23:26-17)
この日は、大祭司が年に一度だけ至聖所に入って、イスラエル全体の贖いの務めを為す日、大贖罪日である。
まず、大祭司自身の罪の贖いが為され、次にイスラエル全体の贖いが為され、最後に、イスラエル全体の罪を一頭のやぎの頭に乗せ、それを荒野へ追放する。(レビ記16章)
『その日には、どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために、あなたがたの神、主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう。またすべてその日にどのような仕事をしても、その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。』(レビ記23:28-30)
「すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれる」とあるが、身を悩ますとは、具体的には、一切の娯楽も食事も味わう事をせず、祈りに専念する事である。
この教えを厳格に守る人は、完全断食を実行し、水はもちろん唾液さえ飲まず、ただ悔い改めの祈りに集中して、自分の罪が贖われ、取り除かれる事を祈る。
この贖罪日に行われる全ては、キリストの贖いを表している。
キリストは私達の全ての罪とがを負って、身代わりに罰されてくださった。
『まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。』(イザヤ53:4-6)
イスラエルが守り行う祭りの内に、イエス・キリストのご性質と、異邦人の救い、そして終末に至るまでの、将来起こるべき事が、隠されていたのである。