メッセージ - 安息の年(レビ記25:1-7)
礼拝説教メッセージ音声:安息の年(レビ記25:1-7):右クリックで保存
『わたしが与える地に、あなたがたがはいったときは、その地にも、主に向かって安息を守らせなければならない。六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝を刈り込み、その実を集めることができる。 しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。これは、主に向かって守る安息である。あなたは畑に種をまいてはならない。また、ぶどう畑の枝を刈り込んではならない。』(レビ記25:2-5)
被造物は全て、七の周期で回っている。なぜなら、全被造物を創られた創造主が、六日間働かれてその全てを完成し、第七の日に休まれたからである。
主は、第七の日を安息日として定められたように、第七年を安息”年”として定められた。
主が安息年を制定されたのは、地と人とが七の周期ごとに休みを得るためでもある。
『安息の年の地の産物は、あなたがたの食物となるであろう。すなわち、あなたと、男女の奴隷と、雇人と、あなたの所に宿っている他国人と、あなたの家畜と、あなたの国のうちの獣とのために、その産物はみな、食物となるであろう。』(レビ記25:6-7)
七の周期ごとに休むなら、単純計算すれば、生産性は七分の一マイナスになってしまう、と思うかもしれない。
しかし、神の国の事は、単純計算で計れると思ったら、大間違いである。
実質は、安息を守る事によって、大いにプラスとなるのだ。
なぜなら、ゆとりのある働きのうちに生産性が上がり、地も、人も、さらに豊かな実りを得るからである。
そして何よりも、生産性が大いにプラスになる理由は、「主を覚えて聖とする」(出エジプト記20:8)事によって、主からの祝福を大いに受けるためだ。
イスラエルの民は、主が命じられた安息日や安息年を守るごとに、主を、主として敬っているのであり、主を敬う人は全て祝福をいただく事が出来るのだ。
もし、主が命じられた事を守らず、土地を安息させないと、どうなるか。それも主は予め示している。
『わたしはあなたがたを国々の間に散らし、つるぎを抜いて、あなたがたの後を追うであろう。あなたがたの地は荒れ果て、あなたがたの町々は荒れ地となるであろう。こうしてその地が荒れ果てて、あなたがたは敵の国にある間、地は安息を楽しむであろう。すなわち、その時、地は休みを得て、安息を楽しむであろう。それは荒れ果てている日の間、休むであろう。あなたがたがそこに住んでいる間、あなたがたの安息のときに休みを得なかったものである。』(レビ26:33-35)
もし、人が土地を休ませないなら、あるいは、奴隷や雇い人、他国人や家畜を休ませないなら、主はそのような御言葉を守らない人を強制的に散らし、敵国へと追いやり、主はそうしてその地に強制的に安息をもたらすのだ。
そしてその事は、実際にイスラエルの歴史の中で起こってしまった。(2歴代誌36:21)
労働者も奴隷も家畜も、休みなく働き詰めとする事は、主の御心ではない。七の周期ごとに安息する事が、主の御心である。
だからもし、職場など置かれている状況が安息させてくれない状況であるなら、主の御心の通りに安息を与え、主を礼拝させてください、と、祈るべきである。