メッセージ - 安息させるための祝福(レビ記25:18-22)
礼拝説教メッセージ音声:安息させるための祝福(レビ記25:18-22):右クリックで保存
『「七年目に種をまくことができず、また産物を集めることができないならば、わたしたちは何を食べようか」とあなたがたは言うのか。わたしは命じて六年目に、あなたがたに祝福をくだし、三か年分の産物を実らせるであろう。あなたがたは八年目に種をまく時には、なお古い産物を食べているであろう。九年目にその産物のできるまで、あなたがたは古いものを食べることができるであろう。』(レビ記25:20-22)
主は、人が当然のように心配する事について、どのようにフォローして下さるかを、先んじて教えて下さる。
事実、イスラエルの民が命じられた通りに、安息を守った時、前もって、三年分の祝福を与えて下さったのだ。
もしそうでなかったとしたら、イスラエルの民は、とっくの昔に滅んでいただろう。
主は、マナを与えて下さった時も、同じような指示をされ、イスラエルの民がしっかり「安息」を守って主を覚えるようにと、安息日の前には、二倍の祝福を与えられた。(出エジプト記16章)
主は人に、一気に何年分もの食い扶持を与える事は、滅多にしない。
何年分も先の食料を貯められ、たましいに安心を宣言した者に、主は愚か者と言われた。
『「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」』(ルカ12:21)
主が、この先何年分も暮らしていけるような金銀や食料を一気に与えない事が多いのは、祝福が与えられて、なお主への忠実さを失わない人よりも、むしろ傲慢になって、主を軽んじてしまう人のほうが、多いためだ。
『貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。』(箴言30:8-9)
私達は、先々も安心して暮らせる金銀を求める事にたましいを使うのではなく、日々、主を求め、御言葉をしっかりと守り、毎日を主と共に歩む事を求めるべきだ。
地は主のものであり、金銀は主のものである。
主は、御言葉を守り行う人には、地に三倍の実りを命じて下さるお方であると同時に、主を軽んじた世代には、三年半の間雨を降らせる事をしなかったお方でもある。
だから私達は、主こそ第一とすべきである。
『あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。
恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。』(ルカ12:29-34)